記事−久保紘之の天下不穏


【久保紘之の天下不穏】日本への「正しい歴史認識」要求

[1995年11月20日 東京夕刊]

 めくってみなければ、何が飛び出すかわからない“日めくりビックリ・カレンダー”のような十九日までの一週間だったが、何といっても最大のトピックは政治資金疑惑による韓国の盧泰愚前大統領逮捕のニュースだろう。それはロッキード事件での田中角栄元首相逮捕前後の、列島騒然とした日本の雰囲気に似ている。

 金泳三大統領が、初めて韓国を公式訪問した中国の江沢民国家主席との会談で、江藤隆美発言に関連し、一致して日本に対し「正しい歴史認識」を求め、さらに、記者会見で「今度こそ日本の態度を必ず、改めさせる」と高飛車な態度に出たのは、非礼極まりないが、これも韓国内の「天下不穏」の背景抜きには考えない方がいい。

 それが証拠に金大統領は「(江藤発言への強硬姿勢は)文民政府の堂々とした道徳性に基づいて、(盧泰愚時代までの)軍事政府とは違うことを示す必要があったからだ」と語ったのである。しかし、問題はこの“道徳の騎士”の出現で、最近の中国の核実験や軍近代化のための膨大な軍事費投入といったアジアにとって最大の不安要素が、見事に掻き消えたことだ。APECを前にした老獪(ろうかい)な江沢民主席の、ほくそ笑む表情が目に見えるようではないか。

 冷戦後の世界状況を「“帝国主義”の時代を通り越して“帝国”の時代へタイムスリップした」と評した学者がいた。興味深いのは、いまや隠れもない中華思想むき出しの中国帝国と共同歩調で、現在の日本を「戦前の帝国主義時代の日本」と二重写しで非難した、金大統領の「民主主義の質」について、である。

 かつて金大中拉致事件(昭和四十八年)に関連して、文芸評論家の故福田恆存氏は雑誌『正論』などで、(1)歴史学者アーノルド・トインビーが言うように、民主主義には唯一のモデルがあるわけではなく、米国には米国、日本には日本、そして韓国には韓国に相応した韓国民主主義があるはず(2)民主主義とか自由とか西洋の「借り物の言葉」で韓国を批判するな(3)韓国のため日本は何もしなくてもいい。しかし、せめてその足を引っ張ることだけはやめた方がいい−と、金大中氏に肩入れしているライシャワー元駐日米大使や同氏に踊らされた“進歩派”知識人、与野党の“ハト派”政治家を批判した。

 二十二年後の今日の韓国を見れば、福田恆存氏の「先見性」とこれらの知識人、政治家らの「要らぬおせっかい」との差は歴然としている。当時、金大中氏救出に奔走した自民党議員は、盧泰愚資金の一部受領を認めた金大中発言にがくぜんとして、「金大中さんがそんなに悪い人とは知らなかった」と慨嘆したものだった。

 しかし、今回の金泳三大統領発言を聞きながら、筆者はふっと、ある錯覚を覚えたのである。「文民政府の道徳性に基づいて、…今度こそ日本の態度を、…正しい歴史認識に、…必ず、改めさせる」という金大統領の口ぶりは、かつての日本の知識人、政治家らの韓国に対する、思い上がったおせっかいな口ぶりとそっくりではないか?と。

 両者の違いは、一方が「日本の戦前・戦中の歴史はすべて悪い」という自虐史観、他方は、その裏返しとしての迫害史観(受難神話)に立って、ともに戦後アメリカからもらった「民主主義」(東京裁判史観)を考えることである。

 金・江会談で一致した「日本への正しい歴史認識」の要求は、日韓外相会談、村山富市首相と金大統領との首脳会談を通じて「民間による歴史認識共同研究」として結実したが、さて、その見通しはどうか?

 たとえば、評論家、西部邁氏は「その国の長い歴史が紡ぎ出した価値基準や道徳的判断を重視する歴史的正義」と「それ(歴史的正義)を超えた(実は破壊する)ところに成立する進歩、ヒューマニズム、人権・平等といった観念を柱とする社会的正義」とを区別している。韓・中首脳会談で一致した「正しい歴史認識」とは、最大限、大目に見てもこの後者、すなわち「“普遍的な”社会的正義」をもって、日本の固有の歴史的正義を塗りつぶす(破壊し尽くす)ということと、同義であろう。こう書くと、「そうした考え方は進歩=科学に対する反動だ」とする非難が必ずあるが、それは当たらない。

 ◇

 前回(十三日付)、筆者は過去の歴史に侵入してまで戦後価値への一様化を図ろうとする戦後民主主義・平和主義思想の傲慢(ごうまん)さを、SF映画『ターミネーター』にたとえたが、実は上記の非難の前提にある「西欧近代科学」神話自体が、自らに反する要素や因子をすべて否定・追放抹殺するために、数多くのターミネーターを、過去に送り込んだのである。

 たとえば、近代理論科学の先駆者・ニュートンは中世の遺物である錬金術に凝り、惑星の運動理論を大成したケプラーは“愚かな”占星術のとりこだったとされるが、「ケプラーに惑星の三法則を思い付かせたのは、まさしく愚かなケプラーとしてのケプラーであり…(略)、ニュートンと錬金術とを切り離せばニュートンの運動力学は似ても似つかぬものになる。(それを愚かであり、遺物であると抹殺してしまうような)現代科学の視点からは十七世紀がもっていた本当の意味での想像、変革のエネルギーを見通すための視座は得られない」と国際基督教大教授(科学哲学)の村上陽一郎氏は指摘している。

 この教訓は歴史解釈にも当然、当てはまるはずである。

 (編集特別委員)

 =毎週月曜日に掲載↑


【久保紘之の天下不穏】竹島問題と戦後日本 何が韓国の侮りを生んだか

[1996年02月26日 東京夕刊]

 やっかいな「隣国」である。むろん、ここでいう隣国とは日本固有の領土である竹島を戦後のどさくさまぎれに占拠し、最近では日本の二〇〇カイリ経済水域設定計画に刺激されて「実効支配」の既成事実を盾に領有権は主張するわ、これみよがしの軍事演習はするわ、あげくの果ては大統領まで乗り出して、まるで開戦前夜ででもあるかのごとく国民の反日感情を煽(あお)るわといった一衣帯水のお隣、韓国のことである。

 領土をめぐるもめごとは他にもロシアとの北方領土、中国との尖閣諸島がある。しかし、顔も皮膚の色も言語も一番似ている日韓両国のもめごとは、どこか甘えと近親憎悪とがない交ぜになったような“始末の悪さ”がある。

 たとえば韓国では最近、竹島奪回作戦に出動した日本の自衛隊との間で戦争になり、韓国が日本を核攻撃するといった荒唐無稽(こうとうむけい)な小説がベストセラーになった。

 それだけなら笑い話ですむが、金泳三大統領が竹島を占拠している韓国警備隊長をわざわざ電話で激励したり、韓国外務省高官が「日本が(経済水域の)基線を独島(竹島の韓国名)にとれば、国民世論はいま以上に沸騰する。われわれも“目には目を”で臨まざるをえない」と言い出し始めると、ことは笑っているだけでは済まされなくなる。

 かつて日韓大陸棚協定問題が沸騰した当時、自民党最左派の宇都宮徳馬氏は「韓国がメジャー(米国石油資本)と結んで開発を強行しようとするならば、事と次第によっては国交を断絶し、海洋上の主権に対して自衛の手段を講ずるのは当然である。それが国家というものである。…略、日本の外交は韓国になめられているところがある。なめられる原因をつくっているものがいるからだ」(昭和五十年三月)と書いた。

 もちろん、宇都宮氏の論理は韓国の軍事政権より北朝鮮に親近感を持ち、金大中事件の主権侵害を糾弾する立場からのものだが、言っていることは「正論」である。歴代保守政権はこの「正論」をぐっと飲み込んで、なおかつ軍事政権の韓国を支えたのだ。

 その論理的根拠は「韓国には韓国の民主主義があり…略、せめて(それが育つまで)足を引っ張るのはやめた方がいい」(故福田恆存氏)という思いやりに尽きる。日本政府が現在、北朝鮮へのコメ供与や朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)に対する重油資金拠出をめぐって南北間の緊張への影響を最優先しているのは、単に北朝鮮に対する不信感からではない。

 竹島占拠にみる韓国流パワー・ポリティックスと同列のレベルでいえば、「対抗上、南北間の不和を利用しよう」といった卑しい魂胆の“北朝鮮カード”使用論が日本に出てきて不思議はない。それがまったく出てこないところに日本外交の道義的責任感の高さがあるというべきなのである。

 韓国流パワー・ポリティックスには、それを見越した「甘え」がある。いま、金泳三大統領が軍事政権時代の盧泰愚、全斗煥両前・元大統領を裁き、ついでに「文民政府の道徳性に基づいて、…今度こそ日本の態度を、正しい歴史認識に、…必ず、改めさせる」などと発言するのはその表れであろう。

 ついでに書けば昨年末、金大統領と中国の江沢民国家主席が江藤隆美発言に関連し、一致して強硬姿勢をとったのは“中国式鍼(はり)麻酔”に似ている。

 つまり鍼を打つことで感覚を麻痺(まひ)させ、激しい手術中の痛みを紛らわせるように、「軍国日本の侵略行為」という過去を非難することで、実は戦後日本のわずかな領土を掠(かす)めとるという、明らかな侵略行為をごまかそうという姑息(こそく)な手法である。

 たとえば、さる二月十日、韓国大統領府は竹島問題に関連して「(日本は)過去の植民地支配と侵略行為について反省どころか、むしろ機会あるごとに美化する妄言(もうげん)を繰り返してきた。われわれはこうした妄言を決して許さず、今後も断固として対処していく」という異例の論評を発表した。これなどはまさに語るに落ちたという以外あるまい。

 同じ論評では「歴史的にも国際法的にも(独島は)韓国の領土」ともいっている。仮にその主張にも一応、それなりの筋が通っているということにしよう。

 問題は、一方の日本にも「自国の領土」とする明白な歴史的根拠が存在することだ。しかも事実関係は一貫して日本の実効的支配下にあった竹島を戦後、占領下の行政権の空白期を狙って韓国が一方的に実力行使で占拠したのである。

 そこで竹島に近寄る日本漁船を有無をいわさず銃撃したり、威嚇的に軍事演習のデモンストレーションを行うなどといったことが、正当化される訳があるまい。それこそ「軍国主義的」というものだ。

                 ◇

 竹島問題で明白になったこと、それは村山富市前政権時代の「戦後五十年国会決議」に象徴される戦後日本の謝罪外交=「日本の戦前・戦中の歴史はすべて悪い」という自虐史観がいかに、国益を損なうかという点である。

 その意味では、「相手が“謝りたがって”いる以上、それを利用しない手はない」という周辺国の“えげつない”までのリアル・ポリティックスを責めるより前に、「なめられる原因」を作った日本の“護憲平和主義者”たちこそ、その責めを負うべきであろう。

 もちろん筆者はだから日本も「目には目を、歯には歯を」といった“勇ましい”主張をここで展開したい訳では毛頭ない。念のために…。

 (編集特別委員)

 =毎週月曜日に掲載


【久保紘之の天下不穏】続・日韓理解への道 「〈恨〉の国民感情」について

[1996年03月18日 東京夕刊]

 「〈怨(ウォン)〉は他人に向けられる“メラメラと燃える炎”、〈恨(ハン)〉は自分の心に沈殿する“ヒラヒラと積もる雪”、韓国人の心を知るには、二つの違いを知らなければならぬ。韓国人の心に〈怨〉と〈恨〉とが重なり合って出てくるとき、そのときはもう収まりがつかない」

 産経新聞の元ソウル特派員、吉田信行氏(現論説委員長)はソウルに赴任したとき、こうアドバイスされたという。言葉の出所は李御寧氏の著書『恨の文化論』(学生社)であった。

 李氏によれば「(〈恨〉とは)かなえられなかった望みであり、実現しなかった夢である。〈怨み〉は復讐によって消され、晴れる。が〈恨〉は望みがかなえられなければ、解くことはできない」という。もちろん、この『恨の文化論』で韓国のすべてを語りつくせるものではないだろう。

 たとえば、故司馬遼太郎氏と韓国知識人の対談『日韓・ソウルの友情』(中公文庫)を読むと、同書を評価する司馬氏に比べ、「〈恨〉は圧迫された民衆の一種のひがみ、民族文化の主潮ではありえない。韓国民族ほど誇り高い民族は少ない」などと、韓国知識人の側の評価は概して低い。

 しかし、いまここで重要なのは、昨年末の村山富市前政権下の江藤隆美・総務庁長官発言や竹島領有権問題を契機に、巻き起こっている韓国内の反日感情の嵐を日本から見ている限り、「圧迫された民衆」(同書)だけでなく、政治家や官僚、知識人の多くもまた、冒頭でふれた「〈怨〉と〈恨〉の重なり合う」韓国人特有の“臨界現象”と無縁ではないように、見受けられる点である。

 かつて「金大中事件」で韓国軍事政権に対する日本国内の批判が高まった折、「ちょっと、待てよ」と声を上げたのは、保守派の論客、故福田恆存氏だったという話は前にも書いた。

 いま韓国内に「〈ひとりの福田恆存〉がなぜ、いない?」というのが、素朴な筆者の疑問である。

 筆者は安直な「ナショナリズム=悪」論に加担したいわけではない。誤解であれ錯覚であれ、“領土・独島(竹島の韓国名)”に愛着を示す韓国民の方が、「竹島問題に無関心」と表明した四割近くの日本人(フジテレビ『報道2001』調査)よりも、はるかに“健気(けなげ)”だと思う。

 問題はそれが「ウルトラ・ナショナリズム化」(「反日」へのナショナルな激情)へと転化していくことだろう。少なくとも韓国の政治家・知識人は国民の素朴なナショナリズムが偏狭なものへと傾斜しないよう心配りする責任がある。

 韓国首脳の最近の言動は、取り扱い次第で極めて危険なこのナショナルな感情を、世論操作の「安直な政治手段」に利用しているように思われてならない。

 「政治」は“一朝有事”の現実的要請次第で、いつでも方向転換可能だが、いったん火の付いた国民感情の切り替えはそう簡単にはいかない。

 たとえば、国際関係で互いに助け合わなければならない構造なのに、日本の国連安全保障理事会の常任理事国入り問題で、反対論の急先鋒のひとりは韓国。

 もっと卑近な例をとればサッカーの二〇〇二年ワールドカップ(W杯)開催地問題をめぐる韓国民の日本に対するライバル意識、これらは共に韓国政府のコントロール可能な範囲を超えてしまっているようだ。

 それはともあれ、筆者がいま興味をひかれるのは、この韓国民のナショナリズムの発する源(暗所)、つまり「〈恨〉の国民感情」について、である。

 かつてNHKの「アジア映画特集」で放映された韓国映画『西便制』(ソピョンジェ、日本題名『風の丘を超えて』、林權澤監督)を見て強い感動を覚えたことがある。

 伝統音楽「パンソリ」を歌う虐(しいた)げられた三人の親子の旅芸人一座の物語だが、「アリアリラン、スリスリラン、アラリガナンネ」と歌いながら夕日の“アリラン峠”を越えていく映像の美しさもさることながら、それ以上に感動的だったのは、その中で語られる「〈恨〉の越え方」についてであった。

 父親のユボンは養女のソンファにこう語りかけるのである。「〈恨〉とは生涯にわたって心に鬱積(うっせき)する感情のしこりだ。お前の声は美しいだけで〈恨〉がない」と。

 そこでユボンはソンファの心に〈恨〉が染み込むよう毒薬を飲ませ目を見えなくしてしまうのである。

 ユボンは死ぬ間際に懺悔しながら次のように言い残す。「これからは心のしこりとなった“情念”(〈恨〉)に埋もれず、それを越える声を出してみろ。“〈恨〉”を越えれば…(略)、唄の境地があるのみだ」と。

 ほぼ同じ意味のことを『恨の文化論』の筆者、李氏はこう書いている。「韓国にあるのは〈恨〉を越えていくアリラン峠である。…(略)、韓国人が〈恨〉を解く日、その日こそ、世界はもっとも清らかな平和にあふれるだろう」と。

                 ◇

 「日韓両国に黒々とわだかまる感情的な諍(いさか)いをどう越えるか」というやっかいなテーマは、もちろん日韓双方から試みられなければなるまい。

 前回、筆者はその困難な試みを、司馬遼太郎氏は日韓両国の古代史へと想像力をめぐらせる、つまり欧米的“普遍”・「上」へと舞い上がるのではなく、歴史の古層へと「下降する」ことで越えようとしたのではないかと書いた。

 同じような方法は、たとえば渡辺京二氏の場合、「日本的知という井戸の中にあって井戸を越える方法…(略)、井戸の深いほうにたどって世界の水面に通底する回路(暗河=くらごう)を設定する」(『日本コミューン主義の系譜』葦書房)と書いているように、より明確な形で試みられている。

 この「回路」(暗河)は日韓双方を刺し貫く相互差別構造の、黒々としたわだかまりを越える通路へと通底しているはずである。

 「日本を奥へ奥へと掘り下げる」(梅原猛氏)という試みは同氏の「縄文文化」論、吉本隆明氏の「南島」論の主テーマでもあった。(注、興味のある人は『日本人は思想したか』=新潮社=を参照されたい)。

 (編集特別委員)

 =毎週月曜日に掲載=・


【久保紘之の天下不穏】「特措法」で自・社・さ体制を考える

[1997年04月07日 東京夕刊]

 特措法(駐留軍用地特別措置法)改正問題をめぐる国会のやり取りを聞きながら、ぼんやりとヤンキース入りに固執するプロ野球の伊良部秀輝投手のこと、を考えた。

 伊良部投手の代理人が「(伊良部の置かれた状況は)第二次世界大戦当時の収容キャンプ」と発言、「うんざりしたヤンキースの選手やファンの間で拒絶反応が出ている」という『外電』を読んだためかもしれない。

 評論家・福田恆存氏が平和論を振り回す文化人を「あらゆる現象相互の間に関係を指摘するのがうまい人種」(『日本を思ふ』文春文庫)とからかったことがあった。

 例えば、基地周辺の風紀の乱れと学童の教育問題とが「(日本の植民地化阻止

日米安保反対

平和の統一戦線結成へといった風に)問題をとはうもなく無際限に拡大していく」(同)ように…。

 「かうしてできあがった平和の統一戦線は、もっとも肝腎な基地のひとたちが脱落し、基地以外の人々の関心に、より多く訴える結果になり、問題を(基地の人々から)遠ざけ、責任を抛棄し、事をあいまいにしてしまふ」。

 つまり、難しく言えば「具体的で個別の事柄を抽象的で大きなシェーマに置き換える“具体性の置き換えの誤謬”」(ホワイトヘッド)が生まれるのである。

 ここで「米軍基地の整理・縮小を問う県民投票」とうたわれた昨年九月の“沖縄デー”を思い起こしてほしい。

 沖縄県庁をフル動員した「賛成投票」誘導の大キャンペーンにもかかわらず、フタを開けてみれば投票率は「八〇%に迫る勢い」という前評判を大きく割り込み、五〇%台にとどまった事実を、だ。

 文化人(“平和主義者”)たちの言い分ははっきりしている。「それは沖縄県民の大部分が、“奴隷状態に目覚めていない”からだ」と。

 米軍用地の賃貸契約を拒否する一割弱(三千人、面積比〇・二%)、しかも大部分がわずかハンカチ程度の土地所有者という「一坪反戦地主」(半数は県外居住者)たちが、いいように“沖縄の声”を代弁・リードしていく“正当性”もそこに求められる。

 さて、「伊良部クン」の話に戻る。日本人なら「小事を大事に絡める平和論の無際限の拡大」の論理を持ち出せば、なんとなく「へい、恐れ入りました」と納得してしまうところだが、伊良部クンの場合はどうやらアメリカという相手が悪かったようだ。

 「特措法」改正をめぐる一連のやり取りを聞いていて興味深かったのは、米軍用地使用の代理署名「拒否」をはじめ、国家の安全保障を“人質にとる”ような言動や、「中央」に対する「地方」の反乱をあおってきた無責任な政治リーダーたちも、いま伊良部クンと同じような戸惑いを感じている、ことである。

 例えば、大田昌秀知事は「(特措法改正は)沖縄の抵抗手段を奪う、新たな沖縄への差別だ」と反発。同じく国会の質疑では沖縄出身議員が橋本首相に対して、「特措法改正」でも普天間基地の代替ヘリポートや沖縄経済振興策に変更のないことの確認を、執拗に迫った。

 つまり「基地問題の期限切れ」という最大の政治的カードを武器に、数々の政治的要求をぶつけてきた“大田流”は、“攻守ところを変えた”というわけだ。

 いま文化人たちの間で「特措法」改正案はすこぶる評判が悪い。

 もちろん「日米安保体制の信頼性を維持する」ための、やむを得ない“緊急避難的措置”ではあっても、政府の改正手続き・内容には無理があり過ぎる。その点は率直に認めるべきだろう。

 問題はなぜ、そうなったかだ。例えば首相は二月二十四日、米国のオルブライト国務長官と会談した際、比重は明らかに「沖縄基地問題がいかに機微に触れる問題か」を強調することに傾いた。

 「首相は国内のツケを回そうとしている」という批判が米国から出たのは、その直後だ。そのあと来日したゴア副大統領は、橋本首相との会談前に記者会見で「この時期に兵力を削減することは最悪のタイミングだ。クリントン大統領と私は兵力は適切と考えている」と強調。首相の“情勢認識の甘さ”にあらかじめ警告を発したのである。

 つまり「小事を大事に絡める平和論の無際限の拡大」の論理に陥っている点では首相もまた例外ではなかった。

 原因は橋本政権を支えるハト派志向の「自・社・さ」三党連立体制が首相の手足を縛ったからである。

 いま「平和論」の欠陥は、あらゆる政治の裂け目から顔をのぞかせている。

 例えば、橋本首相と新進党の小沢一郎党首との会談。

 ここで小沢氏は「政府の特措法の改正案では沖縄、日本、そして橋本総理のいずれの立場にも何ら良い結果をもたらさない。沖縄の戦中以来の苦労に報いるため、根本的な解決ができるような体制を整えるべきだ」と、土地の強制使用手続きを国の直接事務とするよう提案している。

 「平和論」の論理では小沢提案は「沖縄はじめ地方自治体の抵抗権を奪う強権的措置」以外の何ものでもない。

 しかし、ここで「安保が大事なら、その責任は全国民で負担をきちんと負うべきだ」とする大田知事の異議申し立てについて考えてみよう。

 先に沖縄の実弾演習場の本土移転受け入れを、関係自治体が逃げ回った経緯はまだ記憶に新しいだろう。

 つまり橋本首相が大田知事の要望にこたえ、基地負担の再配分について主導権を発揮するためにも「小沢提案」は避けて通れない課題であることが容易にわかるはずだ。

 「平和論」の無責任な論理に立つ社民党は、橋本首相と大田知事と、二重に足を引っ張っているのである。

 「平和論」陣営のどうしようもない滑稽さ、それはこの大田知事が、こともあろうに社民党を唯一の味方だと考えている点である。

                   ◇

 特措法改正問題を機に、にわかに現実味を帯びてきた「自・社・さ」連立体制の維持か「保・保連合」か、の路線論争でも「平和論」は色濃く影を落としている。

 中でも橋本・小沢再会談をめぐって「保・保連合」志向の梶山静六官房長官と対決、「(「保・保」への傾斜を阻止するため)政治生命を懸ける」とまで思い詰めた「自・社・さ」協調派の山崎拓政調会長の言動は、本人が防衛専門家で文化人的「平和論」とは本来、対極に位置するだけに、“滑稽さ”もまたひとしおの観がある。

 連立三党体制を何とか維持し続けたいと考えた山崎氏は、何と驚くべきことに社民党の及川一夫政審会長らを伴って韓国を訪問、韓国側から沖縄駐留の米海兵隊について「朝鮮半島有事の即応能力として貴重な存在だ」という削減反対論を引き出した。

 もちろん海兵隊削減に固執する社民党対策(説得)のために、である。

 かつて防衛族は、アメリカの圧力を借りて防衛費増額を策したが、その手法をいま「自・社・さ」連立体制維持のため韓国に用いる。

 そこまでして維持されなければならない連立三党体制とは一体、何なのか?

 (編集特別委員)


【久保紘之の天下不穏】「保・保」か「自・社・さ」で考える

[1997年06月16日 東京夕刊]

 「保・保連合」か「自・社・さ連携」継続かをめぐって、“不完全燃焼”のようにくすぶっていた自民党内の確執が、やっとここへきて「政争」らしい趣をみせ始めた。

 さて、政界「夏の陣」の第一幕は、どうやら九月の橋本龍太郎自民党総裁(首相)の任期切れに伴う幹事長ポスト争い、つまり加藤紘一現幹事長の継続か交代かをめぐる綱引きから始まるらしい。

 早い話が、「自・社・さ」重視派の中心的存在である加藤幹事長の“首”が飛べば、その時点で路線争いは「保・保」派の勝利と決まる。

 もちろん、幹事長人事の決定権を握るのは橋本首相だから、加藤陣営では早々と「橋本総裁の無投票再選」支持を打ち出した。

 当然、そこには「行財政改革はじめ重要懸案処理のため、党役員・内閣改造人事を断行する時間的余裕はない。つまり、現執行部体制継続」の意味が込められている。

 しかし、問題はその「重要懸案処理」である。

 これに関する限り「保・保」派は一つの「問い」を投げかけるだけで十分である。

 一体、「自・社・さ」で秋以降の「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の抜本的見直し」をめぐる日米協議が乗り切れるのか?と。

 社民党の“頼りがいの無さ”は、すでに「特措法」改正問題で立証ずみである。

 「沖縄がらみとガイドラインとでは性格が違う」とか「(指針見直しでは)社民党と感触の違いはあるが、合意できると思う」(山崎拓政調会長)などは、あくまで希望的観測に過ぎない。

 なぜなら、先に日米両政府が公表した「指針見直し作業の中間取りまとめ」を見る限り、明らかに「見直し」作業は論理的には、従来の「片務的」な日米安保から「集団的自衛権」の行使を含め「双務性」を持たせる方向を、(少なくともアメリカは)予定していると読み取れる。

 事実、「朝鮮半島有事」の際の米軍出動の後方支援、機雷掃海、難民対策、自国民保護、どれ一つとっても「集団的自衛権・双務的日米安保」とのきわどい境目で国内法を整備せざるを得まい。

 それで、どうやって「自・社・さ」維持が可能なのか?

 日本の「政治」がいま問われているのは、

 (1)この“実質的な日米安保再改定”の受け入れを、従来どおりの「五五年体制的手法」、つまりアメリカの要求を「限りなくアイマイさを含んだ“解釈改憲”的手法」で凌いでいくのか?

 (2)それとも「集団的自衛権は(違憲とする歴代の法制局長官見解のような)憲法問題ではなく、政治判断の問題」(中曽根康弘元首相)という考え方へと、プラグを差し替えるか、である。

 (3)もちろん、論理的には社民党や“戦後平和主義者”の「アメリカの言いなりにならない」選択肢も「日米安保廃棄」の道筋もあるだろう。

 しかし、その場合は「指針見直し」で想定されている「日本周辺有事」の緊急事態に対して、どういう有効な手だてが用意されているか、答えなければなるまい。

 それとも「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」(憲法前文)などと“御声明”を唱えるだけで災難をやり過ごそうというのか?

 かつて評論家・故福田恆存氏は「アメリカと仲良く付き合って行くための前提として、日本の国家意識を取り戻せ」と言ったことがある。

 「アメリカから一方的に守って貰うが、日本は守る義務から解放されている」といった占領時代の「片務的」日米安保から、「集団的自衛権の発動可能な双務的」条約へと脱皮することこそ、福田氏のいう「国家意識」を日本人が取り戻す第一歩だろう。

 【注 従来の政府公式見解では「わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界を越えるものであって許されない」とされる。

 しかし、憲法第九条には集団的自衛権を行使出来ないとする明示的規定は無い。

 なお「論理的には第九条が禁じているのは侵略戦争・侵略的武力行使(同威嚇)と、それを目的とする陸・海・空軍、その他の戦力の保持、並びに交戦権の禁止であって、それ以外は一般国際法、国連憲章が禁じていないあらゆる行為が認められる」(小林宏晨『ジュリスト』昭和六十年九月)とする解釈もある。

 ただし、こうしたプラグマティックな憲法解釈論は、どこまでも“解釈改憲”で乗り切り可能とする五五年体制的「アイマイさ」の構造を温存・延命することになる。

 中曽根元首相が最近、積極的に「憲法改正(明文改憲)」を問題提起しているのは、そうした「アイマイさ」を断ち切るためである】

 さて、ここで重要なのは、中曽根氏の言う「集団的自衛権の行使は政治の最高責任者の決断にかかっている」という点だ。

 その場合のキーワードは福田恆存氏のいう「国家意識」の有る無しである。

 そこでもう一度、自民党内の「保・保」か「自・社・さ」連携かの、“路線論争”を振り返ってみよう。

 加藤幹事長はある講演でこう言ってのけたのである。

 「中曽根元首相のような人は何かというと『国家』といいたがる。私どもはまず『国民』といいたい」と。

 思い起こせば、かつての武村正義・新党さきがけ代表は「国権派対民権派」という対立項で政治を理解した。

 「(明治以来百年にわたる)強制と保護の民主主義の政治に対して、政治を市民の手に取り戻さねばならない」「『市民』のためにプロの政治家が政治を行うのではなく、そもそも『市民が』政治を行う力量をもっている」というのは、民主党の鳩山由紀夫代表の持論である。

 三人の共通項、それは「国家対国民」「国権対民権」「国家対市民」などと、「国民」や「市民」を、あたかも「国家」に対する対立・敵対概念であるかのように理解していることだろう。

 それは現行憲法が「国民主権」のみを至高のプラス価値のように讃え、第九条の規定が象徴するように、「国家主権」(その発動としての自衛権・武力保持)をあたかも罪悪視するかのように扱っていることの、投影だろう。

 その意味で三人は、紛れも無く戦後民主主義の“申し子”たちである。

                ◇

 最近、国家や国境・国籍といった「言葉」が、どんどん軽くなっている。

 ボーダーレス・エコノミー、グローバリズムなどと、国境を超える地球的規模の金融財政「改革」(規制緩和・ビッグバン)が叫ばれる。

 かと思えば「ニッポンよサヨナラ」の沖縄独立論が変に持て囃される。

 極めつきは、神戸小学生殺人事件の犯行声明にあった「悲しいことにボクには国籍がない」のセリフだろう。

 そして、ああ、何と「政治家よ、お前もか!」。

 (編集特別委員)


【久保紘之の天下不穏】韓国新大統領の政治力量 「現実的保守主義者」への転身

[1998年03月02日 東京夕刊]

 彼の国では「政治」はまだ“捨てたもの”ではないんだなぁ、と思った。韓国の金大中新大統領の就任演説を聴いた第一印象である。

 「今回の難局は皆さんの協力なしには克服できない。国がガケっぷちに立つ今年一年だけでも私を助けてほしい」。こういう迫り方のできるリーダーは、日本にはいないな、と感心した。

 国民から直接選ばれる大統領制と議院内閣制との違いもあるのだろう。しかし、平成十年度当初予算をめぐる橋本龍太郎首相と野党の攻防を、ちょっとのぞいてほしい。

 何しろ市場は低迷し、欧米からも大規模な景気対策が求められているというのに首相は「これが最善の予算案」といって譲らない。なぜか?

 予算修正に踏み切った途端、野党から「橋本政権の財政構造改革路線からの転換」つまり、失政の批判を浴びるからだ。そうなれば「内閣は持たない」(与党幹部)。

 要するに日本の政治リーダーはさし当たり「国のガケっぷち」より「政権のガケっぷち」で手一杯なのである。

 もちろん、そうは言っても筆者は韓国の政治を手放しで礼賛する気など、さらさらない。というより「政治」とはどこの国でも、そうそう甘くはないというべきだろう。

 たとえば、金大中大統領の協力の呼びかけに対して、国会で過半数を握る野党・ハンナラ党がとりあえず出した返事、それは大統領が「首相」に推す自由民主連合の金鍾泌名誉総裁に反発、本会議をボイコットして流したことだった。

 金大中氏の政治リーダーとしての力量は、自らの掲げた政治課題の実現のために、この度し難い「政治」(権力闘争)の荒波をどうさばき乗り切っていくかで試される。

 就任演説に注目してみよう。「いかなる政治報復もしない」と、新大統領は言い切ったのである。二十五年前、東京で起きたKCIA(韓国中央情報部)による拉致事件、内乱陰謀容疑で死刑を宣告された全斗煥大統領時代と、何度も死に直面した金大中氏だけに、この発言は重い。

 しかし、さらに注目すべきは「(政経癒着と官治金融に染まった指導者たちによる)破たんの責任は国民の前に明らかにすべきだろう」というくだりである。

 「私を助けてほしい」「政治報復はしない」という文言に、さりげなく「前指導者たちの破たんの責任の明確化」を差し挟んだところに、まずは金大中氏の端倪(たんげい)すべからざる政治力量の一端を読み取るべきだろう。

 ただし演説の中でもっとも金大中氏らしい光彩を放っているのは、国民への次のようなメッセージだろう。

 「正しく生きた人が成功し、そうでなかった人は失敗する、そういう社会を実現しなければならない。疎外された人々の涙をふいてあげ、ため息をつく人に勇気を奮い立たせる大統領になる」

 恐らく金大中氏のように死線を何度も越えてきた人物にしか、この言葉は語れまい。残念ながら日本で、いま萎(しお)れさせずにこの言葉を語れる政治家はいない。

 たとえば「盧泰愚、全斗煥の両元大統領を逮捕した金泳三前大統領の“大英断”」を振り返ってみよう。

 金泳三大統領は日本の戦争責任・歴史認識・元慰安婦問題と、これらの軍事政権時代の歴史的清算とを一緒くたにして、「歴史を正しく立て直す」と言い、日本との歴史認識の違いをめぐって「この際、日本の態度を必ず改めさせる」とか「文民政府の堂々たる道徳性に立って過去の軍事政権とは違うということを日本に見せてやらねばならない」と“気負って”見せたのである。

 つまり戦後五十年、やっと文民政府になった金泳三大統領の韓国は「堂々たる道徳性と民主主義」(実は「東京裁判史観」に立つ“勝者の普遍的価値軸”)をそっくり自らの尺度に取り入れて、日本に「正しい歴史観」を教えようとしたわけである。

 それだけではない。「竹島」問題をめぐって、韓国民の「反日」へのナショナルな激情を、ことさら煽って世論操作の“安直な政治手段”にし、日本の国連安全保障理事会の常任理事国入り問題では、反対論の急先鋒に立った。

 「日朝関係は南北関係より前へ出るな」と北朝鮮問題をめぐって、日本にブレーキをかけた金泳三大統領の姿勢。

 もっと卑近な例をとればサッカーの二〇〇二年ワールドカップ(W杯)開催地問題をめぐる韓国民の、日本に対するライバル意識に押し流された金泳三時代の韓国政府。

 これらはすべて大衆迎合の政治的ポピュリズムである。「政治」は“一朝有事”の現実的要請次第で、いつでも方向転換可能だが、いったん火の付いた国民感情の切り替えはそう簡単にはいかない。

 「間違えば、国が破産するかもしれない危機」(就任演説)のいま、そうした金泳三政権の気負い・背伸び・ラジカルな民主主義のすべてが重荷となっている。

 「日本に強く出なければ、国内でたたかれる」という、すでに「政治」のコントロール可能な範囲を超えてしまっている韓国の国民感情は、金大中大統領の「対日政策での現実化路線」の、大きな足枷(かせ)になるだろう。

 しかし、ここではあえて、金大中大統領の就任演説に見られる「大衆への眼差し=国民が主人になる政治」に注目してみたい。それは金泳三時代の政治的ポピュリズムとは、明らかに異なるように思われるからだ。

 その中で金大中氏が「国民の政府は、いかなる政治報復もしない」と言い切るとき、筆者はふっと、かつて文芸評論家・福田恆存氏(『問い質したき事ども』『日米両国民に訴える』新潮社)が金大中拉致事件に関連して、書いた言葉を重ねるのである。

 (1)「民主主義に唯一のモデルがあるわけではなく、米國には米國の、英國には英國の、日本には日本の、そして韓國には韓國の政治文化に相應した韓國的民主主義がある筈である。軍事政権もその範疇に入る」

 (1)「民主主義が不完全にしか育たぬ土壌に、完全な民主主義を期待する事は、民主主義を全體主義、獨裁政治に賣渡す利敵行為にほかならない」

 (1)「左翼全體主義の方が右翼全體主義より民主主義的であり、進歩主義的であるといふのは知識人(例えば、ライシャワー元米国大使的知識人)特有の固定観念だ」

 と、福田氏は書いている。

                ◇

 福田氏のいう「ライシャワー的知識人の固定観念」は、当時の金大中氏にも金泳三大統領にも、拉致事件に大騒ぎした日本の知識人にも、与野党の“ハト派”政治家にも、付和雷同したマスコミにも、ほぼ共通していえるものだろう。

 その金大中氏は大統領となったいま、朴正煕軍事政権時代を高く評価し、自らを拉致した時の首相・金鍾泌氏を改めて新政権の首相に登用しようとしている。

 その一挙手一投足に、ふっと「福田恆存的保守主義者」の面影を感ずるのは、歴史の皮肉というべきなのか?

 (編集特別委員)


【久保紘之の天下不穏】金融スキャンダルの不潔さ 頼るべきは日本人の美感

[1998年03月30日 東京夕刊]

 接待汚職からノーパンしゃぶしゃぶ、覚せい剤所持と“多彩”な一連の金融スキャンダルの印象を、「一言でいえば、きれいじゃないんだ」と、大蔵省出身の浜田卓二郎元代議士が解説している(テレビ朝日の政治討論『朝まで生テレビ』二十八日放映)。

 筆者もまた、「モラル・ハザード」(倫理的破綻)などといった言葉をわざわざ持ち出すよりも、一連のスキャンダルに「不潔感このうえない印象」、つまり美醜のレベルで表現した方が、ピッタリくると考えるひとりである。

 たとえば、古き良き時代の“大蔵エリート”、故谷村裕氏(元大蔵次官、公取委員長)は、著書『大蔵属、月給七拾五圓』(日本経済新聞社)で、おおらかに(つまり、スマートで不潔感のかけらも感じさせること無く)次のように書いている。

 「(人と人とのつながりは)各省庁から民間の方々まで広がる。付き合いが良いといえば俗っぽくなってしまうが、孤高狷介(けんかい、節操を守って孤立する)では行政官は勤まらないし、行政の運営もうまく行かない」と。

 もちろん、いまなら「民間の方々」とはどこの誰々で、接待はなかったか、あったとしたらだれが支払い、金額は幾らか?などと詮索(せんさく)されて、大変だろう。

 いま話題の、政治家の夫人らによる書道展「雍容苑書作展」を訪れた折、谷村夫人はこう述懐したという。「考えてみれば主人は(つまらないことで誇りを傷つけられることもなく)いいときに死んだのかもしれませんね」と。

 ここでは「古き良き時代の大蔵官僚のエリート意識」が、ほぼそのまま「役人の生きざまは、美しくありたい」という美意識につながっていることに、注目してほしい。

 では今日、それはどうして、かくも無残に潰(つい)え去ったのか?

 その原因を、榊原英資・大蔵省財務官は「戦後日本の平等主義イデオロギーにある」(『日本を演出する新官僚像』山手書房、昭和五十二年)と、分析している。

 (1)すべての人間は同質であるとし、結果の平等を重視する平等主義イデオロギーのもとでは、身分制度にもとづくエリート(貴族制・階級制)も機能上のエリート(組織の管理リーダーシップの必要から生じる)も区別なく、公式にはすべて否定された。

 (2)その結果、機能エリート育成の努力が弱まり、一方、陰の世界にしか棲息(せいそく)しえなくなった機能エリートの腐敗、擬似身分制化が急速に進行した、と。

 「公式にはエリートでない人間に、ノブレス・オブリージ(エリートの責任感)を期待するのは、論理的には矛盾した命題ではないか」と、榊原氏は指摘するのである。

 問題は、榊原氏の指摘する「エリート消滅」現象が、なぜ今日の「不潔感このうえない」金融スキャンダルへと連動していったか、である。

 さて、ここで「東大はなぜ、悪いことをしてはいけないという初歩的な教育すらできないのか?」という『前回』から積み残しているテーマに、戻ることにしたい。

 評論家・立花隆氏(「東大法学部卒は教養がない」文藝春秋四月号)は、それは輸入学問の上に築かれた日本の高等教育が、実は実学の部分のみを輸入し、哲学(道理)は「意識的に排除したためだ」という。その典型が東大法学部卒というわけである。

 しかし、仮に立花氏の指摘をそのまま認めるとしても「だから東大法学部卒には悪いことをしてはいけない、という初歩的教養がない」という結論は、相当、論理の飛躍があるように思われる。

 なぜなら、この結論では、古き良き時代の大蔵エリートの「美しくありたい」とする、儒教の実践的表現である武士道を思わせる生きざまをも、一緒くたに総否定することになってしまうからだ。

 重要なのは「悪いことをしてはいけない」という道徳感よりも、「美しい生きざまを保ちたい」という美感が、ブレーキ機能を果たしていることについて、である。

 たとえば、文芸評論家・福田和也氏の「美観は、わが国においては強く倫理と結びついていた。国土の美を回復することは、官僚の倫理を法で規定することの数百倍の倫理的効果を国民に及ぼす」(「新総理Xに与う日本再生案」同号)といった指摘が、ここでは重要なのである。

 その理由を考える上での最良のテキストとして、故福田恆存氏の「日本および日本人」(『日本を思ふ』文春文庫所収)を、紹介したい。

 金融スキャンダルから“援助交際”、「なぜ、人を殺してはいけないのか?」と問う少年Aに至る、今日の精神の荒廃を解読するキーワードと、その解決への糸口がこの昭和二十九年に書かれた小論文に、すべて書き込まれているといっても過言ではない。

 たとえば、立花氏が「初歩的な善悪を簡単な徳目として教えるのは家庭教育、初等教育の問題だが、より深く本質的に突っ込んで考え直すのは高等教育の役割。それは西洋哲学が繰り返し問い返してきた問題で、そう簡単に答えは出ない」と書いている点は、福田論文ではこうなる。

 (1)日本人の道徳感の根底は美感である。この美感の最低限を示す原理が「汚れていない」ということ。これは西洋的教養を身につけている人たちにも、そのままあてはまる。

 (2)明確な宗教意識を持たず、「超自然の絶対者」という観念・思想に直面することのない日本人は、「罪悪」を識別する基準(抽象化の能力)がない。その道徳的空白感は戦後、とくにひどくなった。ことに知識階級のなかには観念的に無道徳者が多い。

 (3)それにもかかわらず、大部分の人が秩序を破らないのは、法律や世間が怖いからだけではなく、その根底には私たちの神経(美感)が承知しないということ、そういう日本人の神経なり感覚なりは、かなり信頼していい。

 (4)それは、自然によって養われた調和の実感である。そういう日本人の美感は、明治以来、徐々に荒らされているが、それだけが頼るべき唯一のものであり、再出発のための最低の段階である、

 といったように…。

 福田氏の厳しい目は「こうした日本人的感覚の積極的長所を無視し、それを抹殺するようにのみ働いてきた」近代日本の進歩的改革と、それを推進した進歩主義者に対してとくに鋭く注がれる。そして、こう警告するのである。

 「それを押し殺そうとして、何を得たか。ただ混乱があっただけ。そして自信を失っただけではないか」「さういふ自信をもたずに、このまま混乱の流れに押し流されつづけてゐると、おたがひどうしが信じられない状態がくるのではないか」と。

                 ◇

 一連の金融スキャンダル報道で、筆者がいまも不可思議に思っている点のひとつに、三塚博前蔵相の辞任と連動した、小村武前事務次官の「辞職劇」がある。

 報道は、いったん「当面、職にとどまる」と表明した小村氏が橋本龍太郎首相の逆鱗(げきりん)に触れて辞職を迫られたというものだったが、筆者が追跡調査をした限りでは、どうも事実と異なり、小村氏の辞任の意思にもかかわらずあたかも地位に恋々としていたかのごとく官邸サイドが一方的にリークした疑いが濃いことである。

 そうまでして“演出される”橋本流「ビッグバン・自由化・規制緩和・大蔵省解体」劇とは、一体何なのか?

 「どういふ道を歩むにせよ、自分の姿勢の美しさ、正しさといふことを大事にして、ものをいひ、ことをおこなふ日本人としての美感」から、それはもっとも遠いように思われるが、どうか?

 (編集特別委員)


【久保紘之の天下不穏】国家指導者と女性スキャンダル 橋本首相と宇野氏の落差

[1998年05月25日 東京夕刊]

 宇野宗佑元首相の訃報を聞いて、女性スキャンダルでいいところなく、わずか六十九日間の短命首相に終わった宇野氏の不運と無念を思いやりながら、ふっと、いま中国人女性問題でほとんど痛手を受けない橋本龍太郎首相との、「落差」が気になった。

 それは、世論・メディアの気まぐれのせいか?“政治の風俗化”がより進行して、目新しく無くなったせいか?

 東京・神楽坂の元芸者との金銭トラブルに端を発した宇野氏の「女性スキャンダル」問題に対する野党やマスコミ、フェミニズム運動家らの道徳的糾弾について、当時、三木睦子元首相夫人は次のような感想をもらしている。

 「本来的には男と女の問題、宇野夫人が怒ればいいことで全国民、全マスコミが夫人にかわって怒ることはないだろう」と。

 次に紹介する話は一度『当欄』(平成八年十月七日付)で書いたことがあるが、マスコミから私生児の娘の存在を聞かれたフランスの故ミッテラン大統領は、さりげなくこう答えたというのである。

 「ええ娘がいますよ。それで(エ・アロール)?」と。(『フランスにはなぜ恋愛スキャンダルがないのか?』棚沢直子、草野いづみ著)

 宇野氏に問題があったとすれば、まず第一にミッテランのようなシャレた答え方が出来なかった点ではないか。

 もっともこれには後日談(『ルモンド』平成九年四月三日付)があって、実はしたたかなミッテランは、裏では盗聴などでマスコミの動きを監視していた、とあった。

 クリントン米大統領のセックス・スキャンダルでも、「国民は大統領に聖人君子たることを期待しているのではない。分別ある大人であってほしいと願っているのだ」(ニューズウィーク日本版二月四日)という常識論とは別に、主たる問題となったのは、大統領は嘘を言ったか?公権力を使って揉み消し工作をしたかどうか?であった。

 何しろヒラリー夫人自ら「防御と反撃の指揮をとった」(同)のだから、睦子夫人のいう「夫人が怒るべき問題」は、ハナからクリアされていたというべきだろう。

 問題は、宇野氏のケースである。「元芸者の彼女? ええいましたよ。それで?」とスマートに答えた場合、日本のマスコミ・世論は一体、どう反応しただろうか?

 ミッテランの「フランス流」を真似しろといいたいのではない。文芸評論家・福田恆存は日本の「心中文学」について、こう解説している。

 「男女関係のもっとも純粋で『きれい』な形式は心中であるという美感が働いている。日本人の『穢(けが)れ』の意識は『姦淫(かんいん)を美化しなければ気がすまなかった。すべてを美感で盛りあげ美感で解決していこうとし(姦淫さえも)美しい形式を与えることによって道徳的課題たることを免れた」(『日本および日本人』)と。

 金で男と女の関係を清算しようとしたと伝えられた宇野氏の行為が「日本的美感に触れた」、つまりミッテラン流のスマートさがなかったということなら、少なくとも話の筋道だけは、はっきり見えてくるというべきだろう。

 わかりにくいのは、それがなぜ宇野首相の政治生命に止めを刺すまでエスカレートしていったかだが、いまそれに詳しくふれる余裕はない。

 ここでの問題の焦点は、橋本首相の「中国人女性問題」について、である。

 まず橋本首相の場合は、ケース(1)のミッテランとも、(2)のクリントンとも、(3)の宇野宗佑とも明確に区別してかからなければならない「重大問題」がある点を、はっきりさせて置きたい。

 すなわち、橋本首相の相手とは、こともあろうに「中国の情報機関に勤務していた女性」だ、とされる点である。

 それが事実なら、当然「クリントン大統領の不倫騒ぎなどと同じレベルのものではない。日本の公安問題、安全保障の根本を揺るがしかねない話」(『文藝春秋』二月号、中西輝政・京大教授)であり、「諸外国なら議員辞職するほどの国益に関する大問題」(二十三日、小沢一郎自由党党首)というべきだろう。

 問題は宇野氏の場合、ただの「男と女」の問題に過ぎない不倫騒ぎが、政治生命に止めを刺されるまでエスカレートしたのに対して、橋本首相には、どうしてその“メカニズム”が作動しないのか?だろう。

 「倫理・道徳」のレベルでいえば、国家の命運にかかわる「最高の倫理」、言い換えれば,それに反した場合“国家反逆罪、売国奴”の不名誉な烙印(らくいん)を押されかねない“危険な情事”に走った橋本首相に対して、マスコミ・世論の反応は、なぜ、かくも鈍いのか?

 まさか橋本首相の一見“遊びなれたスマートさ”に、幻惑されているわけでもないと思うが、どうなのか?

                  ◇

 本来なら秘して置くべき「男と女」の間の話を、どんどん告白してしまう女性の心理状態(解体衝動)を、評論家・芹沢俊介氏(『共同幻想としての風俗』)はフロイトの『死の衝動』で説明したことがあった。

 いまから思えば、元芸者の「解体衝動」は、実は宇野氏を通じて戦後自民党政治に“解体の刃”を突き付けていたのだ、と思う。

 さて「橋本スキャンダル」の現在とは、この解体衝動がついに「日本メルトダウン(融解)」へと、着実に深化しつつある証拠ではないか?

 何しろ、有権者の六〇%が「死の衝動」の自覚なしに“選挙・政治無関心層”を自慢そうに名乗り、一国の最高リーダーが、こともあろうに隣国の元情報機関員と親しくなり、国益を危うくする「日本メルトダウン」を助長しながら、そのことにほとんど無自覚ときているのだから…。 (編集特別委員)


【久保紘之の天下不穏】村山訪朝団の「現実的処理」 精神的武装解除の危険性

[1999年12月06日 東京夕刊]

 北朝鮮への超党派議員訪問団(団長、村山富市元首相)と朝鮮労働党との共同声明やら合意内容を読みながら、ふっと「金大中拉致(らち)」事件の記憶がよみがえった。

 たとえば、この超党派訪問団に初めて加わった日本共産党は、この訪問団の成果と意義を「双方が無条件、前提なしで国交正常化交渉を再開させることで合意した」(機関紙『しんぶん赤旗』五日付)という、現実的な処理方法に求めている。

 「九〇年の金丸信(元副総理)訪朝団を契機に始まった国交正常化交渉は、北朝鮮による日本人拉致疑惑事件の真相解明を会談再開の前提条件としたため、結局、本交渉を開始できませんでした」(同「主張」)といった親切な解説付きで、だ。

 それが、同じ拉致事件ではあっても韓国の朴正煕軍事政権のもとでの金大中拉致疑惑の場合、村山元首相の所属した旧社会党はじめ日本の“革新”勢力は、「明白な日本の国家主権に対する侵犯であり、日本政府に対する謝罪と金大中氏を日本に送り返すなどの原状回復」を、こぞって求めたのではなかったか?

 しかも、北朝鮮が拉致した七件十人はいずれも日本人、北朝鮮関与の事実関係は警察当局が、すでに国会質疑の中で認めているのである。

 その中のひとり、昭和五十二年に拉致された女子中学生、横田めぐみさん(当時十三歳)について、父親の滋さんは「北朝鮮へのコメの支援問題に反対するものではありませんが、人道的立場をうんぬんするのであれば、まず、私たちの娘を返してほしい」(『文芸春秋』平成九年五月号)と、悲痛な思いを訴えている。

 ここでは「自国民を保護し、その安全を確保する」という近代市民国家の存立要件が問いただされている、といっていい。

 もちろん、筆者は今回の超党派による訪朝団の選択した「現実的な処理方法」を“無条件・無前提”に否定する考えなどは、さらさらない。早い話が日本側があくまで拉致事件でギリギリ責め立てた場合、「北朝鮮側は証拠隠滅、つまり拉致した日本人を抹殺する可能性」(北朝鮮ウオッチャー)だって、ありうるからだ。

 実は、今回のような現実的処理方法(治者の知恵)はかつて金大中拉致事件の折、文芸評論家・福田恆存が繰り返し説いたことだった(『正論』昭和五十五年十一月号「日本よ、汝自身を知れ」)。

 ただし、ここが重要なのだが、福田が金大中事件について「民主主義とか自由とか西洋の“借り物の言葉”で朴正煕の韓国を批判するな」(『日米両国民に訴える』高木書房)と書き、拉致事件の現実的処理方法、つまり「治者の知恵」を日本の政治家に求めたのは、(1)韓国には韓国に相応した韓国民主主義があるはず(朴軍事政権も例外ではない)(2)日米安保条約のただ乗りを続けながら、自国の防衛線である韓国の“非民主主義的体質”の批判にいい気になっているな、という認識が前提にあったからである。

 問題は金正日の北朝鮮である。一体、超党派訪朝団はいかなる「北朝鮮認識」を前提にして現実的な処理方法、つまり「双方が無条件、前提なしで国交正常化交渉再開に合意」するに至ったのか?

 かつて、旧ソ連のノーベル賞作家・ソルジェニーツィンは「ソ連国内の民主化を伴わない以上、西側の推進するデタント・経済技術援助は、いたずらにソ連の軍国化を促進するだけでなく、デタントが西側世界の精神的武装解除へ導く危険性について、警鐘を鳴らした」(勝田吉太郎「核の論理」)という。

 まさか、超党派訪朝団も福田恆存が「朴正煕軍事政権も韓国型民主主義のひとつ」という前提で考えた現実的処理方法の論理を、そっくりそのまま金正日の北朝鮮へ当てはめたわけではあるまい。

 となると、今回、超党派訪朝団と日朝間で合意した「無条件・無前提の国交正常化交渉再開」で、北朝鮮側が人道的諸問題として求める食糧援助は、ソルジェニーツィンの指摘どおり「民主化を伴わない北朝鮮の軍国化(ミサイル強化)を、まちがいなく促進する」ということだろう。

 しかし、ここで筆者が警鐘を鳴らしたいのは、日本側の一方的な「精神的武装解除の危険性」の方である。

 実は、北朝鮮のような国家に対して一方で「現実的処理方法」で対する場合、他方で国家の安全保障について準備万端怠りなく備える構えが不可欠の要件であることは、いうまでもあるまい。

 たとえば、カトリック教徒であった故ケネディ米大統領の演説には「神を信頼し、火薬をしめらせずにおけ」(オリバー・クロムウェル)という言葉の意味が、それとなく盛り込まれていたという。

 ところが、どうだ。今回の超党派訪朝団のメンバーの多くは、福田恆存の言葉を借りれば「日米安保条約にただ乗り」しているくせに、一方で「ポスト冷戦・平和の配当」を声高に叫び、沖縄の米軍基地削減・常時駐留なき安保などといってはばからない。

 つまり「金正日の北朝鮮を信頼し、火薬をしめらせよう(精神的武装解除)」というわけである。これほど危険このうえない“現実的処理方法”はあるまい。

 自由党の小沢一郎党首の「自自合流による保守新党」論が、理念の一致を大前提に、憲法改正と安全保障政策を保守新党の柱に据えようと提唱しているのは、その意味で喫緊の課題というべきだろう。

 なぜなら「日本の無力化」(マッカーサー『初期対日方針』、いわゆる日本弱体化政策)を目標の一つにして作られた現行憲法は、前文をみても一目瞭然(りょうぜん)のように国家主権を悪者扱いし、国民主権を唯一至高の価値として位置付けている。

 つまり、金正日の北朝鮮が日本人を拉致しようが、それをもって「国家主権の侵犯」とまなじりを決することがイコール悪である、という憲法体系になっているわけだ。

                 ◇ 

 中曽根康弘元首相は「二十一世紀にかけて大事なものは、国家目標と青写真をつくること、その国民的合意をつくることであり、それを推進する強力な政治力をつくることだ」とし、総選挙後、新しい憲法秩序を形成するための大保守連合を提唱している。

 しかし、それなら総選挙前に小渕首相のリーダーシップで実現し、国民に信を問うべきである。北朝鮮のミサイルは待ってはくれない。

 小沢自由党が生き残るかどうかなどは、取るに足らぬ小さなことだ。

 (編集特別委員)


【久保紘之の天下不穏】平成の10年間 現れなかった強いリーダー

[1999年12月27日 東京夕刊]

 新しいミレニアムを迎えるにあたって、などと大げさに構える前に天皇ご在位十年を祝ったばかりの、この「平成の十年間」とは一体、何だったのかな、と考えた。

 「とうとう世界一の借金王になってしまった。六百兆円も借金をもってるのは日本の総理大臣しかいない」と、二〇〇〇年(平成十二年)度予算の政府案に対する小渕恵三首相の自嘲(ちょう)気味の言葉が、この「平成の十年」の“トリ”をつとめるものだとしたら、ちょうど十年前、「平成」という二文字の書かれた色紙を大事そうに抱え、テレビ画面で大写しになっていたのも、当時の竹下登内閣の官房長官・小渕氏だった。

 そういえば、平成の始まりにあたって故福田恆存(文芸評論家)氏は「何も変わりはしない。悪くなっていくだけだ」と、“黙示録”のようなつぶやきを産経新聞『正論』に残していたっけ。

 なるほど「平成の十年」とは、“永田町の政治の舞台”でみる限り、平成の年男・小渕官房長官に始まり、世界一の借金王・小渕首相で締めくくられる十年だったのか。

 それにしても、奇妙な話である。何しろ、この十年間、国民もマスコミも世界史の大変動期にいやおうなく巻き込まれる日本の行く末を心配し、ことあるごとに「欧米的な強いリーダーよ、いでよ!」と、呼ばわり続けてきた。

 ところが、どうだろう。

 よりにもよって「平成の十年」のトリをつとめたリーダーは、中曽根康弘元首相がいみじくも「真空総理」と命名したように、欧米的リーダーのイメージの対極にある小渕首相だったというわけだ。

 中曽根氏の「真空総理」についての解説が面白い。

 「よく解釈すれば、河合隼雄さんの中空構造論にもとづく位置づけ。あるいは台風の中心は無風というイメージ。無私・無我といった東洋的発想だってある。一面では空洞やがらんどうの意味も」(『中央公論』一月号)と。

 問題は、未曾有(みぞう)の危機になぜ小渕真空総理が出現したのか? だろう。重要なのは、そうした日本権力構造のメカニズムを考えてみることである。

 たとえば、故山本七平氏は「日本では危機は『和の強調』をもたらし、『和』で突破するという発想しかできなくなる。受け身に立たされると、その組織的欠陥があらゆる局面でさらけだされる」(『指導者の条件』文芸春秋社)と指摘している。

 山本氏によれば、その顕著な例が「末期の大本営であり、戦後は旧国鉄のような巨大組織だった」というのである。

 「そこでは崩壊直前まで組織維持のため『内部の和』は保持され、組織それ自体は外面的に厳然と存続していた。世話人型指導者は内部の摩擦を避けるため日常業務の円滑な運営にのみ専念し、情況に対処して大きな方向転換ができなくなった」(同)と。

 こう書くと、小渕自民党と自自公体制は新たな「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)関連法や通信傍受法、国旗国歌法など、どんどんポイントをあげているという反論が返ってくるだろう。

 確かに、首相自身も「川柳では『やるじゃない、やりすぎじゃない小渕さん』とある」と、自画自賛している。

 しかし、それらのポイント稼ぎは、山本七平流にいえば「末期の大本営のように情況の変化や特異な刺激に反射的に対応している」にすぎず、とても「大きな方向転換に対応できている」とは、言えないのではないか?

 あの旧社会党のリーダーである村山富市元首相でさえ「安保・日の丸・自衛隊承認」反対の党是を突如、かなぐり捨てたくらいなのだから、自民党の首相なら、例えば“アメリカからの特異な刺激”に反射的に対応して、ガイドライン関連法を成立させるくらいは、当たり前だろう。

 問題は、小渕体制でポスト冷戦、バブル崩壊後のテポドン・ショック、金融・経済危機などに対応できる「大きな方向転換」が、果たして可能かどうかだろう。

 実は、小渕首相が「やるじゃない」と一定の評価を得たのも「旧陸軍の大陸進攻と同じで、際限のない野放図な国債増発と、歯止めのないばらまき政策を推し進めた結果ではないか」(小泉純一郎元厚相)という指摘がある。

 つまり、小渕流“世話人型”リーダーとは、「まずは景気回復を確かなものにする」という合言葉のもと、前任の首相・橋本龍太郎氏の財政構造改革法を棚上げし、国債増発によるパイの拡大で公明党をはじめとする、新たな「ムラ社会の和」を確実なものにすることで、はじめて成立した。

 裏返して言えば、国債増発がもはや限界点に達し、構造的な部分への切り込みを避けて通れなくなった新ミレニアムでは、小渕流“世話人型”リーダーは存在の根拠を完全に失うということである。

 さて、この難題を突破するため小渕首相に残された選択肢は、第一に、世話人型リーダーから、世論待望の「欧米流の強力(リーダーシップとカリスマ性)な指導者」へと、豹変(ひょうへん)できるかという点。

 第二は、第一の豹変が無理な場合、それを外部から調達する選択肢。たとえば、理想的なリーダー像とは「ライオンの勇猛とキツネの狡智(こうち)の双方を持たねばならない」(マキャベリの『君主論』)とある。

 いま、これを欧米流リーダーと日本流世話人型リーダーに当てはめると、二つの能力を一人のリーダーが持つことこそ理想的。ただし、残念ながら小渕首相の器量では、無理だろう。では、それがかなわない場合はどうする?

 答えは「二つの能力を備えたリーダーがいない場合、次善の策はそれぞれの能力を持つ二人が協力すること」(ガエターノ・モスカ『支配する階級』ダイヤモンド社)である。筆者はかねがね、そのあい方は小沢一郎・自由党党首だと指摘してきた。

                  ◇ 

 小渕首相が、剛腕・小沢一郎を思うさま働かせ、当然、そこから噴出してくる自民党内の不満や矛盾のすべてを首相が引き受ける。つまり目配り・気配りを絶やさない並外れた調整能力と、旧竹下派・経世会の隠然たる多数派結集の力を、絶妙に織り交ぜながら不満を“毒消し”する。

 モスカのいうように、それぞれ正反対の並外れた能力と欠陥をもった小渕・小沢両氏が、協力しあって「非常事態の決断者」という、“合体”の政治的パーソナリティーを作りあげるのが、日本の危機脱出のための喫緊の課題のはず、だった。

 残念ながら筆者の期待は、いまむなしく消え去ろうとしている。

 (編集特別委員)


【久保紘之の天下不穏】立ち往生する日本 “呪縛”から解き放つのは誰なのか?

[2000年06月19日 東京夕刊]

 「皇太后さまご逝去」の一報に、しばらくビルの谷間に遠くかすむ大内山の、碧(あお)く哀しい緑を目にしむまで眺め、ふっとわれにかえってテレビのチャンネルを回したが、どこもかしこも“茶パツ”のお笑いタレントのバカ笑いで、あふれていた。

 思い起こせば昭和天皇の崩御のあと、文芸評論家・福田恆存は平成の始まりを、まるで黙示録のつぶやきのように、こう書きつけている。

 「何も変わりはしない。悪くなっていくだけだ」と。

 それから十二年、「戦前・戦中・戦後」の時間の連続性(歴史・伝統)をひとくくりにした、「昭和」という時代を象徴される、最後のお一人が逝去された。

 そして「平成」の時代の幕開けに立ち会った竹下登元首相も十九日、帰らぬ人に。

 「皇太后さまご逝去」で、政府は急きょ弔旗掲揚や歌舞音曲などの自粛を求める「弔意奉表」を閣議了解したが、衆院選の選挙活動は自粛の対象にならないという。

 主権者国民の最大の“行事”である総選挙は何ものにも制約されない! なるほど、それで事情が飲み込めた。

 何しろ、弔意奉表が閣議了解された同じ十七日、民主党幹部から自民党候補にくら替えした鳩山邦夫元文相は、引退した故竹下元首相の地元で兄の鳩山由紀夫民主党代表をこう批判したのだから。

 「兄は人の道を知らない暴挙に出ている。人間として許せない」と。

 邦夫氏の言い分は、こうだ。兄・由紀夫は初めて選挙に出たとき、さんざん元首相のお世話になっておきながら、今回の総選挙の初日に恩をあだで返すように、元首相の地元へ自党候補の応援にきた。「人の道を知らない人間に政治をさせてはならない」と。

 はて? “人の道を外れる”とは、自民党の野中広務幹事長の得意のセリフのはずだが、と思ったら、案の定、同じ竹下氏の地元で野中氏はこう演説していたのである。

 「(鳩山民主党代表は友愛というが)兄弟仲良くできない。人として最低の道徳や信義を守れない人に、一国の政治を語る資格はない」と。

 すさまじい選挙である。

 普通の兄弟なら、いくら仲が悪くとも兄が「人の道に外れている」などと赤の他人がいえば弟は「何だと!」と怒るのが普通だろう。ところが、邦夫氏は野中氏らと一緒になって「人の道に外れている」と、実の兄をこき下ろす。

 『兄弟牆(かき)に鬩(せめ)ぐ』(詩経)とは「兄弟ゲンカ」のことだが、実はこのことわざには続きがあって『(〜鬩げども)外其(そと、そ)の務(あなどり)を禦(ふせ)ぐ』、つまり「兄弟ゲンカはしても、外からあなどりを受ければ一緒になって防ぐ」のが古来、普通の兄弟の在り方とされる。

 明治維新以来、四代にわたる政治家一家、そのほとんどが東大卒の秀才ぞろいという、この音羽御殿に巣くう名門一家も、平成の由紀夫・邦夫兄弟の代になって、やはりどこか狂いが生じていると言わざるを得まい。

 そういえば“教育ママゴン”による幼稚園児殺しも、音羽を中心とする戦後教育の突出した上昇志向の“異次元空間”での出来事である。これは、現行の教育基本法というより「戦前・戦中・戦後」の歴史・伝統の連続性を遮断したところに成立している戦後平和憲法秩序体系の末期現象が、まさに突出して噴出しているということではないか?

 「何も変わりはしない。悪くなっていくだけ」という恆存流“黙示録”は予言どおりになりつつある。政治だけでなくすべての分野で…。

 「皇太后さまご逝去」で昭和の最後のともしびが消え、さらに「“王空位”現象」を補完する役割を担った小渕恵三前首相・竹下元首相の死で、われわれはまざまざと現在の深刻さを、知ることになる。

 『前回』、森首相の「神の国」発言に倣(なら)って、この「“王(神)空位”」現象(戦後憲法秩序の実質的崩壊現象)、つまり「神無月」とは竹下元首相の出身地、島根県出雲大社では「神在月」である、と書いた。

 この「寓意」は示唆的である。何しろ鳩山兄弟や野中幹事長はじめ旧竹下(小渕)派の面々がそろい踏みする島根2区とは、魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちの乱舞するワルプルギスの夜を彷彿(ほうふつ)とさせるものがあるからだ。

 鳩山由紀夫・邦夫兄弟が相争うのも、どこか魑魅魍魎たちの跋扈(ばっこ)した『太平記』の世界でいえば、少々“小粒”過ぎるきらいはあるが、足利一族の頭領・足利尊氏と弟・直義との、血で血を洗うドラマと二重写しに見えないこともない。

 断っておくが、筆者はこの兄弟ゲンカを疎(うと)ましく思っているのではない。

 ポスト冷戦・五五年体制崩壊以後、つまり平成時代の閉塞(へいそく)状況に陥った政治の現状にどうやって風穴を開けるか、というこの困難な政治課題について、少なくとも戦後民主主義の落とし子のような「倫理主義」「反権力・反国家=善」の言説よりは、この十数年間、下剋上(げこくじょう)的な権力闘争を執ように繰り返す、旧竹下派(田中角栄の弟子たち)の方が、はるかにそうした閉塞状況に風穴を開ける何ものかを生み出す可能性が大きいのではないか、と考えているからだ。

 ちなみに『太平記』が面白いのは、既成の道徳・倫理の枠組みにこだわらない、つまり「常に、歴史意識とか歴史というものが決定的にからかわれている」(山口昌男と中沢新一の対談『太平記』の世界=「国文学」學燈社)からである。

 重要なのはその中から「ただの魑魅魍魎」と、閉塞状況に陥った時代の転換軸を大きく回す「非法強行の悪党や婆娑羅(バサラ)」とを見分ける眼力を持つことだろう。

 いま世界秩序の大再編の嵐の中で、ひとり立ち往生を余儀なくされている日本を「平和憲法」と「戦後民主主義」の物語(正史)の呪縛から解き放つものはだれなのか?

 「隣の亭主は良く見える」のコマーシャルではないが、南北会談の“成功”をうらやむだけでは何も始まるまい。(編集特別委員)


【久保紘之の天下不穏】沖縄から何を発信したか 「文学」に「政治」投げ込む愚

[2000年07月24日 東京夕刊]

 「沖縄から世界に向けて発信する」−。二十世紀最後の主要国首脳会議(沖縄サミット)議長国の森喜朗首相のあいさつに始まり、沖縄県民“念願”の「平和の礎(いしじ)」にクリントン米大統領を迎えた際の少女の歓迎スピーチに至るまで、この言葉を何度、聞いたことやら?

 それで一体、何が発信された? どうも、そこがいま一つ不得要領なのだ。たとえば、森首相主催の社交夕食会は、なぜ琉球王朝の象徴である首里城で開かれたのか?

 クリントン大統領が「平和の礎」における演説で「一八七九年、最後の琉球王・尚泰が首里城を去るとき…」と尚王の琉歌を引用したのは、ただの愛きょうですむだろう。

 しかし、明治政府の「琉球処分」(近代国家統一のため、薩摩藩に支配され外藩扱いされていた“琉球王国”を沖縄県として組み入れた一連の措置)は、大田昌秀前知事に象徴される“沖縄知識人”たちにとっては、まさに「本土−ヤマトンチュー」に対する怨念(おんねん)の出発点となる事件である。

 たとえば、沖縄出身の上原康助前衆院議員(社民党=当時)は「私は相当思い詰めている、…本当に琉球王国を作ろうかと思っている。大田知事を新琉球国王にして…」(平成九年二月、衆院予算委)と発言したものである。

 ここでは、琉球王朝の悲劇の歴史と「沖縄独立共和国論」がセットで語られている点に、ご注目願いたい。『誰も書かなかった沖縄』(PHP)の著者、恵隆之介氏は、

 「問題は恣意(しい)的に解釈された沖縄史(被害者史観)にある。日本の保守層でも琉球は独立国だったが日本が併合し、苦難の道を歩ませてしまっている、といった誤ったテーゼが定着しつつある。これが世界に発信されたら、日本政府は今後の国際外交上、非常に不利になる。中国政府からこの点を突っ込まれて第二の台湾問題に発展する恐れがある」

 と、指摘してきた。

 なぜなら、中国も台湾政府も沖縄を「自国の領土」と、主張しているからである。

 「小渕恵三元首相の万感の思い」(首里城での夕食会の森首相のスピーチ)を、しのぶのはいい。しかし、首里城で、というより、そもそも沖縄でサミットを開いたのは、およそ「“治者”の知恵」からは程遠い、軽率極まる選択だったのではないか?

 たとえば、クリントン大統領は「平和の礎」での演説で「在日米軍施設の五割以上が集中する沖縄に住む人々が、それを自ら望んだわけでないことは承知しています」と、述べている。

 問題は「それからあと」にあるのだが、クリントンはあえて、それ以上は踏み込んで発言しない。当然、島民からは「米兵不祥事の謝罪がなかった」「基地の整理縮小は示唆したが、県側の普天間飛行場移設の条件『十五年使用期限』問題にはふれなかった」と、落胆の声があがる。

 だが、クリントンがあえて踏み込まなかったのは、「それからあと」の答弁責任は日本の統治者、すなわち森首相にあると言いたかったからではないのか?

 それは今後の対北朝鮮政策について、二十二日の日米首脳会談で森首相が「安全保障上の懸念や人道上の問題があるので米国の協力をお願いしたい」と発言。クリントンと北朝鮮への日米の共同歩調を取ることを確認した一事をみれば、わかる。

 文芸評論家・福田恆存氏(『一匹と九十九匹と』)は、イエスの『ルカ伝第十五章』の比ゆを踏まえながら、こう書くのである。

 「善き政治はおのれの限界(九十九匹の羊を野に置き、失せたる一匹にかかづらうことのできない限界)を意識して失せたる一匹の救いを文學(宗教)に期待する」と。

 島民の不満も怒りも痛いほどわかる。しかしながら「日米安保と沖縄」とは、ギリギリ詰めれば「九十九匹を救うために、一匹を犠牲にすることもありうる」という「政治」の根源的な問題にたじろがず、真っ正面から向き合わなければ、解答の出せない事柄である。もちろん、犠牲となる一匹へのまなざしを「善き政治」が失っていいはずはない。しかし、国家・国民全体の安全のため沖縄の戦略的=地政学(ゲオポリティーク)的価値とをてんびんにかけることはできない。

 小渕元首相や野中広務自民党幹事長らの「沖縄への思い」は貴重だが、それは「文學の言葉で政治を理解しようとして政治を殺してしまふ」(同)ことではないのか?

 当面「犠牲となる一匹」を根本的に救済する手だてが見つからない以上、少なくとも国家・国民全体の利益を論議するサミットを「文学」の中に投げ込む愚は避ける、それが「“治者”の知恵」というものだろう。

 さて、沖縄サミットで何を発信したのか? それは「政治」よりも「文学(基地問題)」に比重がかかっていたことは言うまでもあるまい。当面、同じような問題を抱えた韓国では反米感情が、南北会談の“成功”による北朝鮮の金正日への親近感と裏腹に、たかまる恐れがある。

 まだ驚くべきことがある。

 さる十八日、森首相は公明党の神崎武法代表と保守党の扇千景党首と会談、沖縄サミットに臨む政府の基本方針を説明したが、会談に立ち会った野中自民党幹事長は、こう要望したのである。

 「(今年五月に)衆院で戦争決別宣言決議をしたが、このようなことを明らかにする宣言をしてほしい」と。

 公明党機関紙『公明新聞』によれば、神崎代表も「戦争決別宣言はぜひ、やってもらいたい」と発言。これに対して森首相は「小渕さん(元首相)がなぜ沖縄の地を(サミット開催地に)選んだかなどを申し上げ、戦争決別決議を提案したい」と、積極的に取り組む考えを示したという。

 筆者は『当欄』(三日付)で、この「決議」の内容が憲法前文と第九条の「精神」を忠実になぞっただけで、いま戦争を引き起こす恐れのある国家、すなわち東アジアでいえば北朝鮮や中国を明示さえしていない点を指摘した。

 森首相がサミットの場で、それを持ち出したかどうかは知らない。しかし、敗戦国・日本とドイツさえ「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」(憲法前文)いれば、世界平和は保たれるという“敗戦トラウマ(精神的外傷)”の上に成立する戦後憲法の平和主義を、かつての戦勝国の首脳の居並ぶ沖縄サミットで提案する。それがいかにこっけいな行為であるかに思い至らない議会人の想像力の枯渇(こかつ)、「精神の植民地主義」(勝田吉太郎『敗戦後遺症シンドローム』)には、慄然(りつぜん)たる思いを禁じ得ない。(編集特別委員)


【久保紘之の天下不穏】成人式と二足ロボットの相似 欠落した「神」への畏敬

[2001年01月15日 東京夕刊]

 二十一世紀の初めなのだから、何か象徴的な「風景」でもスケッチできたらいいな、と寝正月がてら新聞やテレビをみてきたが、どうもあまり印象に残る出来事がない。

 もちろん、日々のニュースは有り余るほどある。が、それはどれもこれも平成の始まりに故福田恆存(文芸評論家)が残した“黙示録”のような呟(つぶや)き、「何も変わりはしない。悪くなっていくだけだ」の、ひと言で片付けられるたぐいのものだ。

 たとえば、「成人の日」の式典で来賓の知事や市長に「帰れ、帰れ」と手拍子を打ちながら連呼したり、クラッカーを投げつける“成人に成りきれない悪ガキ”がいたかと思えば、若者に人気のあるパラパラを催したり、出席者に一人当たり五万円を支給するという、ご機嫌取りに走った市町村があった。

 いまのところ、騒ぎを起こした“新成人”たちを「出ていけ」と一喝した橋本大二郎高知県知事や、クラッカーを投げ付けた“新成人”らの告訴を決めた増田昌三高松市長を非難する声は、さすがにあがらない。

 しかし、この若者たちの“退行現象”を、森喜朗内閣の「教育改革国民会議」で進める教育基本法改正の方向、例えば、そうした「甘え・ジコチュー・自由のはきちがえ」をもたらした戦後教育の欠陥を改める抜本策として「奉仕活動の義務化」を導入すべきだとする提言と結び付ければ、たちまち次のような非難にとって代わるだろう。

 「管理教育、集団主義体制から逸脱しようとするところから生じた彼らの病理を掘り下げないで、国家や行政の上からの教化・管理を一層強めようとする統制的、権威主義的な対症療法の一環だ」と。

 なるほど戦後五十五年の時間幅でみれば、若者の退化も教育改革をめぐる“大人”たちの攻防も「何も変わってはいない」というべきかもしれない。舞台が日本沈没という最悪の事態へ、歩一歩と進んでいる一点を除けば…。

 ただでさえ移ろいやすい「政界の風景」で、この新年、目を引いたのは公明党の神崎武法代表が八日、この教育改革国民会議の提言している「奉仕活動」について、憲法一八条「何人も、その意に反する苦役に服させられない」との整合性を理由に慎重論を表明。さらに(1)国公立学校に宗教教育を持ち込むこと(2)教育基本法改正に国家主義的、全体主義的、戦前回帰的考え方を持ち込むこと−の二点について反対を正式に打ち出したことだろう。

 しかし、ここで注目すべきは政党スローガンを出ない無味乾燥な神崎発言の方ではなく、同じ日発表された創価学会の池田大作名誉会長の『教育力の復権へ 内なる精神性の輝きを』と題する提言(聖教新聞九日付)である。

 神崎発言は、この池田提言の骨子をなぞったものだが、必ずしも池田氏の「真意」を忠実に伝えるものとはなっていない。たとえば、神崎発言の(1)と(2)の関係について、池田提言は、次のような論理展開になっている。

 第一、「宗教は、他のすべての活動に対して道徳的基礎を提供する」とマハトマ・ガンジーが述べているように、教育は手段ではなく精神性、宗教性といった人間の心の深層にまで踏み込んだ根本療法にアプローチする段階にきている。

 第二、ただし、断っておきたいのは、何も私が「宗教教育」の導入を意図して、こうしたことを論じているわけではない。公教育における「宗教教育」の実施は憲法や教育基本法でも明確に禁じられている。

 池田提言は、この二つの前段があって、その後に神崎発言の(2)、すなわち「戦前に回帰するような宗教教育の実施を求める復古主義的な動き」に対して警鐘を鳴らしているわけだ。

 つまり、池田提言は第一の論理を見てもわかるとおり、戦後民主教育が陥った重大な欠陥が「宗教的情操」の欠落にあり、その意味で「宗教教育」の必要性を否定しているわけではないということが、ここでは重要である。

 教育改革国民会議のメンバーの一人、勝田吉太郎・鈴鹿国際大学学長は、新渡戸稲造が百年前に『武士道』を刊行した際の、次のようなエピソードを紹介している。

 ベルギーのある法学者との会話で「日本には宗教教育はない」と、何気なく新渡戸が言うと、相手は驚き「そんなことでどうして道徳教育が可能となるのですか」と問い返した−と。

 もちろん「政治と宗教」との関係においても例外ではない。例えば、先の米大統領選で「道徳と信仰」に関する質問に、ゴアはこう答えている。「私は自分の生活のなかで信仰が果たす役割や、私の価値観の中で信仰が中心となっていることを認める」と。

 一方、ブッシュは「(最も評価する政治哲学者は)キリストです。私を改心させたから。キリストを救世主として受け入れれば、心と人生が変わる。信仰は私にとって強さの源泉だ。私は罪深き者であり、贖罪(しょくざい)を求めてきた」と、語った。

 ちなみに勝田氏は、連合国軍総司令部(GHQ)の強硬な修正要求によって、現行の教育基本法が公布される前の一九四六年九月、文部省が作成した「教育基本法要綱草案」では「宗教的情操の涵養(かんよう)は、これを重視しなければならない。(ただし、公立学校は)特定の宗派的教育及び活動をしてはならない」とあったとし、現行法の改正は、このGHQの介入以前の文部省案を復活すればよい、と主張している。

 池田大作氏と勝田吉太郎氏の「考え方」の開きはそう大きくはないはず、である。

 ところで、成人式で主催者側が若者のご機嫌とりに催したパラパラをテレビで見ながら、ふっと昨年暮れ、世界で初めて成功した「パラパラを踊る二足歩行ロボット」が、だぶって見えた。

 一九六八年に製作されたA・C・クラーク原作の映画『2001年宇宙の旅』の、最後は科学もついに神を持ち出さざるを得ないのかと、見るものに神々しいまでの衝撃を与えた哲学性・宗教性と比べ、パラパラを踊るロボットの、この「軽さ」は一体、何だろう?

 成人式の“成人に成りきれない若者”たちから、二足歩行のロボットに至るまでを刺し貫いて欠落しているもの、それは「人間を超えた大いなる存在に対する畏敬・畏怖(いけい・いふ)の念」、つまり「神を見たか、見ないか」の差ではないだろうか?

 その畏敬・畏怖の念があって初めて、人間は内面に自己抑制の心構えが生じる。それは「宗教的情操教育」によってのみ可能、ということだろう。

 (編集特別委員)


戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送