書評關係


【書評】中村光夫全戯曲 中村光夫著 高い水準、批評的な喜劇感覚

[1992年11月02日 東京夕刊]

 一九八八年に没した中村光夫が、本来の評論活動のほかに戯曲を書いたり、小説をものしたりしたことを知っているのは、今やある程度以上の世代に限られるのではないかと思われる。その意味でこの著作集は、刊行されたこと自体に相当の価値があるといっていいだろう。

 同時に、冷遇としかいいようがない扱いを受けている一人の劇作家の−−戯曲の存在を無視した文学史が堂々とまかり通っている事実を見よ−−、現在から見ても高い水準にある作品に改めて接して、現在の創作戯曲の不振を思わないではいられない。

 収録されているのは五本の戯曲。すなわち発表順に「人と狼」(五七年)、「パリ繁昌記」(六一年)、「汽笛一声」(六四年)、「家庭の幸福」(七一年)、「雲をたがやす男」(七六年)である。

 「家庭の幸福」一編を除いて、すべてが多幕物であることが、この仕事にかけた作者の思いを伝えていよう。決して評論家の余技ではなく、真正面から取り組んだ仕事なのだ。加えて、これら全部が上演されている。そのうち「人と狼」「家庭の幸福」「雲をたがやす男」の三本が福田恆存の演出であったというところに、あるラインが見えてくる。知的な、批評的な喜劇感覚とでもいうべきものが、全部の作品の基本的なトーンなのだ。

 さらに、留学生たちの群像を描いた「パリ繁昌記」と、わが国の時代でいうと幕末期のパリをバックに、幕府の使節としてフランス政府との交渉にあたった栗本鋤雲を主人公とする「雲をたがやす男」が典型的であるように、どういう意味でか「日本」と「西洋」が一つの主題になっている。ここのところが面白い。風俗劇の側面を持つあとの三作も、あえていえばバタくさい。換言すればここに収められている作品は、正統的な近代戯曲なのである。その到達点を忘れるべきではないし、それがよくわかる。広く読まれてほしい。

 (筑摩書房・六〇〇〇円)

 演劇評論家 大笹吉雄


【古山高麗雄が読む】「紳士と淑女」文芸春秋編(文芸春秋・2800円)

[1995年01月23日 東京朝刊]

 「文芸春秋」の新年号に、昨年十一月に亡くなった福田恆存さんの講演が載っている。「塹壕の時代」という題で、二十五年前の昭和四十五年の講演をテープから起こしたものである。

 全集に入っていないので、未発表論考と銘打たれているが、福田さんは、いつもと違うことを言っているわけではない。その講演で福田さんは、昨今はこれまでのように、革新、ラジカリストが見えなくなってきた。そういう人たちは福田さんを保守反動と呼ぶが、保守反動からすれば「敵」の「革新の人々」が、人の前にちゃんと立たずに、砂の中にもぐりこんだぐにゃぐにゃした軟体動物のようになっている。そういう人たちと論を戦わすには、まずそのぐにゃぐにゃを砂の上に引っぱり上げて、ここに「敵」ありということを論証しなければならないので、手数がかかる、と言っている。

 また、前衛は売れ始めてしまったら、もう前衛ではない。前衛とは、人に理解されない少数派のことだ、と言っている。

 そのとおりだと思う。

 二十五年も前からわが国は、右も左も、保守も革新も、塹壕の中に身をひそめ、ぐにゃぐにゃ軟体動物になっている。それで、福田さんは、タマを撃つことが少なくなったのである。

 保守と革新と、どちらが保守で、どちらが革新なのかわからなくなっている。わが国の革新は、戦後、いきなり売れて多数派になり、保守は、多数派でありつづけるために、革新と同じものを共有する。かくて、どちらも、多数派だ。

 政治家は票がほしくて、企業は金がほしくて、多数派であれば、非常識にもつく。わが国はそういう国で、戦後、常識は、少数派でありつづけた。

 『紳士と淑女』は、雑誌「諸君!」で、票や金のために多数派としてまかり通っている非常識を、軽妙に、痛烈に、おちょくったり、ぶったたいたりしている匿名のコラムである。

 同欄が設けられて今日まで、十五年間の文章が、一冊になった。

 常識を大切にしたい人は、この本を読めば、いくらか安心できるのではないか。少数派であっても、この国には常識もあるのだ、と思えるのではないか。

 少数派なりとも、故福田さんや、この『紳士と淑女』子や、山本夏彦さんや、その他、常識のある発言をなされる人はいるのである。その常識が、非常識が多数派であるために、ラジカルに聞こえるというのが、わが国の哀しいところ。『紳士と淑女』子や山本夏彦さんが多数派になったら、この国すばらしいことになるだろうな、と思うが、そういうことはあるまい。(ふるやま・こまお=作家)


【書評】「福田恆存語録」日本への遺言/中村保男、谷田貝常夫編

[1995年04月27日 東京朝刊]

 本書は、昨年十一月に急逝された福田恆存氏の膨大な文業をもとに編まれた語録集である。福田氏については、近年戦後保守思想の巨星として名声のみ喧伝されながら、実際には、昭和六十二年に刊行された全集を除けば、著書の入手すら困難になっている。編者あとがきによると、本書は、氏の「読者を増やす目的で」企画され、生前福田氏の許可を得て編集が進められていたという。

 それだけに「語録」としての工夫はこらされていて、章立てや、各一頁に収められた断章――全集の所収巻と頁が明記されている――は興味深く配列されている。例えば、「悪」の章に何故「民主主義」や「生命尊重」という断章があるのか。「逆説」の章にある「俗物礼賛」や「痴漢」を、帯によると「孤高の思想家」であるはずの氏がどう論ずるのか。

 日本の章に「天皇制」という断章があるから、「保守反動」の福田恆存のことだ、さしずめ……と思って読む読者がいたとすれば、「私自身はもちろん『天皇制』には反対です」という一句に面食らおうし、一方、氏を近代主義者と決め付けるなら、神、国家などを「仮説(フィクション)」と認めた上で、それらの「『仮説(フィクション)』はすべて事実であり、実在(フィクションIII)」であるとする氏の思想は理解出来まい。

 無論、これは鬼面人を驚かす逆説や思い付きの類ではなく、氏の言葉は考え詰めた人の言葉だけが持つ平明な新鮮さと、氏自身の声調を失うことはない。それだけに、氏の思想の持つ奥行きや広がりをたどって熟読を深めるのは、逆に難事業ともいえるであろう。これ一冊で氏の思想を「卒業」できると勘違いする読者が出かねないからだ。

 が、もし読者が氏の文章との間で弛まざる対話を交そうと努めれば、氏の文業ほど今日の思想的沈滞を吹き払う強いエネルギーを秘めた戦後思想は他にない。本書が福田氏の文業への入り口として、多くの読者に熟読されることを期待したい。

 (文芸春秋・二一〇〇円)

 評論家 小川栄太郎


【書評】「日本を思ふ」福田恆存著

[1995年05月10日 東京朝刊]

 昨年没した著者は、評論、劇作、翻訳のほか、チャタレイ裁判では特別弁護人を務め、また劇団を主宰するなど、鋭い知性で戦後日本に問いを投げかけ続けた。「私は日本人ほど贅沢な国民はないとおもふ。男女の衣服にしても、さうです。(中略)さういへば、あるひとは、日本人の模倣の才をそこに見てとるかもしれない。が、私はさうはおもひません。日本人の審美的感覚はもともと洗練されてゐるのです」(「日本および日本人」から)。近代化、新憲法、民主主義など戦後文化の根幹にかかわる諸問題への、現在なお光を放つ論考を精選収録。

 (文春文庫・五〇〇円)


【書評】言葉を玩んで国を喪う 井尻千男著

[1995年06月08日 東京朝刊]

 戦後五十年の私たちの言説は、「国を玩んで言葉を喪う」ことへの禁欲と、自省から出発した。

 そこには、敗戦国日本を、暈(かさ)のように覆う占領下の言論機構が、露骨にも、また微妙にも作用していた。それから五十年後の今日、私たちはついに、「言葉を玩んで国を喪う」という著者の危機意識に、否定し難いリアリティを感ずるほどの歴史的逆説を、招くにいたった。

 端的にそれは、冷戦の時代の終焉と、バブル経済の破たんによって浮上した、「言葉」と「国家」とのあからさまな関係である。

 もはや、言葉を玩んでいる場合ではないという認識は、湾岸戦争ショックによって、多くの日本人の共有するところともなっていた。

 「知」の特権を退廃的に具現した“言語ゲーム”は、終わったのである。だがそれは、新しいゲームの始まりを意味しない。

 私たちにいま求められているのは、著者の言う「歴史的構想力についての言語感覚」の回復である。井尻氏は、前著『劇的なる精神 福田恆存』に続いて、この戦後史の難関に、果敢に挑んでいる。

 もとより、言葉をとり巻くこの世紀末的な危機感の対象は、「政治的言語」に限定されはしない。文化、経済から環境問題にいたるまで、著者の目くばりは広範である。読者はそこから、この著者の時代に対する“怒り”を読みとることができよう。

 ただ、本書は凡百の守旧派の手による悲憤慷慨の書ではない。特徴的なのは、井尻氏の言葉の現状への不信の背後にある、「信」の回復への意志である。

 従来の“言語ゲーム”が、言葉への軽信を支える「不信」によって、価値喪失をもたらしたことと、あまりにもそれは対照的だ。

 歴史的構想力の回復に向けて、著者は怒りのなかにも、どこか喜々として言葉を紡いでいるかのようだ。

 (新潮社・一六〇〇円)

 評論家 高澤秀次


【書評】人と心と言葉 江藤淳著 転換期の10年の思索

[1995年11月06日 東京朝刊]

 著者十年ぶりのエッセー集。世界情勢が激変し昭和が終わったこの間、著者の身辺でも大きな変化があった。教官として東工大から母校の慶大に戻り、二十年間中断していた『漱石とその時代』の執筆を再開。化膿性脊椎(せきつい)炎で二カ月の入院生活を余儀なくされたりもした。

 また、敬愛する先輩文士や友人も失った。野上彌生子、小林秀雄、中村光夫、開高健、永井龍男、中上健次、福田恆存…。時代の終わりをみつめ、去った人々を追懐し、白茶けた現代の都市空間を苦々しく思いながらも、文学の「言葉」をめぐって思索し続ける著者の姿勢が感銘深い。(文芸春秋・一八〇〇円)


【古山高麗雄が読む】「自由の恐怖」西尾幹二著(文芸春秋・1700円)

[1995年12月18日 東京朝刊]

 西尾幹二氏は、昭和十年(一九三五年)生まれだから、戦争中は小学生である。

 戦争中は小学校を国民学校といい、小学生を少国民といって、軍国教育をした。

 私は大東亜戦争が始まった年、二十一歳で、戦場に送られた。私たちの世代の者は、軍隊を経験し、西尾氏の世代の人々は、児童疎開や焼跡の生活を体験した。

 軍隊体験や戦場体験が、私の物の考え方に影響を与えているものは少なくない。あの体験で得たものもあろうし、失ったものもあろう。何を得、何を失ったのであろうか。得たつもりで失ったもの、失ったつもりで得たものもあるであろう。得たといっても、それが偏見につながれば、失ったことになるのではないか。今でも私は、そのようなことを考え尽くせず、蟻地獄に落ち込んだような気持でいるが、もしかしたら、こういった私の戦争の後遺症のようなものは、西尾氏の世代の人々に較べれば、軽いかもしれない、と思う。私の二十代の思考など、未熟でやわであっただろう。しかし、ローティーンの無垢で多感な世代の人々に較べれば、頑固でもあり、狡猾でもあって、それで切り抜けたところもあるだろう。

 しかし、ローティーンの少年少女たちは、防ぐ手だてもなく、翻弄されたのだ。当時の大人たちは、弁解するだろうが、ある日突然、教科書に墨を塗ったことについて、考えてみようともしない。責任も感じない。この軽薄、この御都合主義が日本人の体質であることを、私の世代も、西尾氏の世代も、その下の世代も、さらにその下の世代も、つまり世代を超えて無自覚に表現していることに、西尾氏は黙っていられないのである。

 安易に流布している戦後補償についての日独比較論にしても、太平洋戦争についての認識にしても、オウム騒ぎの受け取り方にしても、敗戦と同時に教科書に墨を塗った御都合主義のレベル以上のものではない。その低レベルに覆い尽くされている祖国に、もう墨塗りはやめてくれ、といっているのが、西尾氏の論文である。

 西尾氏の論文を読むと、こういうことをいってくれる人がいてよかった、と思う。西尾氏や西尾氏の敬愛する故福田恆存氏のような方の存在が、わが国では少数派であることが残念だが、こういう方が確固として発言してくれるのでホッとする。もし、西尾氏のような発言がなくなってしまったら、国じゅう墨塗りだらけのマックロケノケになってしまうだろう。

 流行に弱く、マゾ的に日本を責める日本人たちに、西尾氏の論文を読ませたい。(ふるやま・こまお=作家↑


【書評】「戸板康二の歳月」 師や友との交流見事に 矢野誠一著

[1996年07月28日 東京朝刊]

 流行語にもなった『ちょっといい話』で知られる直木賞作家・戸板康二の魅力を、多くの粋人との交流の中に描いた滋味あふれる傑作評伝。師と仰いだ久保田万太郎や折口信夫、友人の永六輔、金子信雄、中村勘三郎ら、わき役たちの横顔も見事に描かれている。また文学座の分裂騒ぎや、芥川比呂志と福田恆存の反目、銀座セゾン劇場設立に奔走した大河内豪の話など、周辺で起きたさまざまな出来事も巧みに取り込まれていて、読みごたえ十分。卓抜な人物描写で一家をなした戸板康二にふさわしい珠玉の〈人物誌〉でもある。

(矢野誠一著/文芸春秋・一六〇〇円↑


【柴田二郎が読む】「メタフィジカル・パンチ」池田晶子著 文芸春秋・1500円

[1996年11月25日 東京朝刊]

 とにかく題名通りパンチの効いた本である。どこがパンチが効いているかというと、おっしゃることがおっしゃるとおりだからである。論理として整然としているという点もあるが、それより私のような哲学の門外漢でも著者の言わんとするところがさっと分かってしまうという点である。ご存じないかもしれないが、著者には熱烈なファンがいる。私の住んでいる山口市という、本州最西端の人口が最も少ない県庁所在地で、バブル以降でも土地の価格が上がるという甚だ奇妙な所で、私以外に少なくとも二人のファンがいる。一人は五十歳すぎの家庭の主婦で、もう一人は三十歳前の大学の数学の教官である。話が分かりやすいということでは、これほど頭のいい人はいないと、彼らはいう。

 過去から現在に至る、著名な言論人の文章を主として取り上げてある。ソクラテスさん、宮本顕治さん、福田恆存さん、と続いて、お医者さん、学者さん、などを含んで、最後に世界人類の皆さんで終わる。医業に関わり、かつては大学にも在籍した私としては、養老孟司さん、お医者さん、学者さんのところが印象的であった。養老氏は学生は解剖を教えてもらうつもりだが、自分が教えているのは死体とは何かであるという。その答えは実は私であるという。実に分かりやすいが、著者も分かりやすいという。それがどういうことなのかを分からない人に分からせるのは困難であるという。さらに養老氏の唯脳論は、唯心論を唯物的に語る方法論だとして、極めて明快である。

 お医者さんのところでは、近藤誠氏の話は医学的な論証は別として、極めてよく分かるし、特にガンを自然現象の一つと見るならば、ガンによる死は自然で平和なものだという指摘は当然で、死とはあくまで自然なことであるという。老いも病も生理現象であると言い続けてきた私にとっては、実に分かりやすい。

 学者さんの項では、大学で哲学をやっている著者に向かって、結構なご身分ですねと言われる度に、如何に生きるかということより、なぜ生きているかを考える方が論理的に先ではないかと至極当然の答えを示し、世のなかには何の役にも立たない、一文の得にもならないようなことをやるような人間が、必ず必要であると説く。これまたごもっともな話である。

 このように、あっと驚かされて、お説ごもっともでございます、何も反論するところはありませんと、同感させられる本は珍しい。例えば福田恆存氏の「精神的自由が物質的自由より重大だ」という文章の引用などは、昔もびっくりさせられたが、著者の引用によって改めて驚かされる。改めて言う。福田氏のこういう考え方こそ、現在の日本に一番必要なことである。その意味でこういう本は甚だ貴重である。なるべく多くの人に読まれることを期待したい。

 (しばた・じろう=開業医)


【私の一冊】柴田二郎 『日本医学史(決定版)』富士川游著(形成社)

[1997年04月07日 東京朝刊]

 この本は明治三十八年に初版が発行されている。その後、昭和十五年に再版が出来ているが、戦後改めて昭和四十七年に復刻されている。医学の歴史書としては、欧米にも多くの本があるが、わが国の医学のように、長い間中国医学の影響を受け、なおわが国古来の民間伝承の療法を加味して続き、明治にいたってすべてを西洋医学流に置き換えるという変遷を経るというのは、極めて特殊な歴史であり、その意味でも本書は実に得難い知識を与えてくれる。

 同時に驚くのは、明治の人々がいかに勉学に励み、日夜研究を怠らなかったかということである。司馬遼太郎氏は、明治の日本人と昭和の日本人は到底同じ民族とは思えない、と指摘されたが、この本の著者の研鑽ぶりには圧倒される。到底私には出来ないと溜息が出る。

 しかもこの本の内容は、日本の文明度は、歴史のいかなる時期においても、西洋文明とは異なる思考過程で形成されてはいたものの、なんら劣るところはなかったということを痛感させる。明治という時期に西洋文明を極めて巧妙に摂取出来たのも当然だということに、目を見張らされる思いがした。特にわが国では医学の歴史についての研究や教育が、比較的軽視されているため、感銘を受けること並大抵ではなかったと信じている。小川政修著『西洋医学史』についても同じことが言える。

 なお医学以外の分野では、福田恆存氏の一連の書、特に平和論についての当時の、いわゆる進歩的文化人との論争には、まさに目からウロコが落ちるという感じを覚えたことを付記しておきたい。

 またイザヤ・ベンダサン著(実際には山本七平氏であろう)の『日本人とユダヤ人』は今読んでも異色の日本人論である。それに同じく山本七平氏が、実際に比島の敗戦のときの下級将校としての切実な経験を語った『私の中の日本軍』(文春文庫、上下)も、今読んでも絶対の迫力を感じさせるものがある。

 (しばた・じろう=医師↑


【書評】「作家の生き死」 立原正秋の貴重な資料 高井有一著

[1997年07月20日 東京朝刊]

 中村草田男、大岡昇平、福田恆存ら、愛惜する作家の生と死を描いたエッセー集。とりわけ、一九六四年創刊の同人誌「犀」を通しての友人、立原正秋の章が読ませる。著者の評伝『立原正秋』にまつわる後日譚は、新資料として貴重なもの。

 出自を日韓混血と自称した立原が、実は純粋な韓国人だったことは評伝に詳しいが、本書では韓国時代の唯一の友人によって、孤独な吃音の少年、金胤奎としての立原が浮き彫りにされる。〈在日〉でもある友人は、彼が立原だとはずっと気付かなかったのだ。両親を失い、独りで来日し、出自を隠し通した立原の上昇志向の半生。それは〈朝鮮人〉として生きる辛さの表れだった。食道がんとのせい絶な闘いも描かれており、静かでさえた文章が印象的。(高井有一著/角川書店・一五〇〇円)


月刊「正論」先読み 3月号

[1998年01月31日 東京夕刊]

 ◇腐れ縁よりも共犯

 ◆企業はどうしたら闇社会と手を切れるか=宮脇磊介◆ 六年前、バブル経済崩壊後の景気低迷を元警察官僚の筆者は「ヤクザ・リセッション」と名付けた。当時は「まもなく景気は回復する」と楽観論が横行していたが、「そうはならない」と言い続けてきた。企業と闇社会の関係が、経済の浮揚を妨げることが見えていたからだ。

 それは両者の腐れ縁というより、各種犯罪の共犯といえるものであった。よく知られた例でいえば、企業は余った金をオフィスビルなどの建設に回した。そのために土地のまとめ買いが必要になった。当然土地を手放そうとしなかったり、転居したがらない人もいる。手際よくまとめ買いするには腕力がいる。地上げが暴力団の独壇場となるのは自然の理であった。

 金融機関のモラルを欠いた行動に、暴力団が「ヤクザ以下や」と嘆いたとか。

 ◇刺激的な思想家論

 ◆シリーズ・日本の思想家=論◆ 日本の近代以降の代表的な思想家の存在と主題を、第一級の執筆者が今日の視点でとらえなおす、「正論」創刊二十五周年記念の大型企画。佐伯啓思氏の「福沢諭吉の近代意識」を第一回にスタートする。

 一万円札におさまる堂々と確信に満ちた諭吉とうつむきかげんな千円札の夏目漱石。諭吉の確信と、ほぼ三十年を置いた漱石の不安という対比的な構図を冒頭に置いて、近代日本の方向をきめた明治の最高知性の核心の思考を明らかにする。『学問のすゝめ』の余り読まれない後段の学問論、「脱亜入欧論」の表層的でない論理の奥行きなど、人と思想の全体に届く柔らかい文体で、「新しい福沢諭吉」を描き出している。以降、夏目漱石(岸田秀氏)、北一輝(久世光彦氏)、福田恆存(吉本隆明氏)といった刺激的なラインアップで続く。

 ◇日本人の外交幻想

 ◆戦略なき石油外交の危機=上住充弘◆ 昨年十一月のクラスノヤルスクにおける日露首脳会談は、「日露関係に新時代を開く画期的一歩」と報じられた。「二〇〇〇年までに平和条約を締結する」との合意事項を評価したからである。

 だが、果たしてそうか。筆者は日露合意の背景には、米露の了解があり、さらには米中露およびヨーロッパも加わった世界石油戦略がある、と指摘する。それは迫り来る石油危機に備え、シベリアおよび中国奥地の石油開発とパイプライン建設を、日本に資金を出させて進めようというもので、「平和条約」などは、同計画に日本を引き込むためのエサに過ぎない、というのだ。

 この観点からすれば、いよいよ平和条約締結、これで北方領土が返ってくる、と沸き立つわが国の受け止め方は、外交を善意としか解釈できない日本人のおめでたさが生んだ幻想にすぎないことになる。一読、ぞっとする問題論文。

 雑誌「正論」3月号は本日1月31日に発売されます。問い合わせ、定期購読の申し込みなどはTEL03・3243・8469へ。


【書評】「戦後知識人の系譜」 高澤秀次著 “不毛な言説”を照らし出す鏡

[1998年05月16日 東京朝刊]

 本書は、丸山真男、清水幾太郎、竹内好、吉本隆明、鶴見俊輔、久野収、林達夫、花田清輝、梅本克己、梯明秀、武谷三男、平田清明、大塚久雄、司馬遼太郎、福田恆存など、戦後知識人への批評である。戦後の華々しい言論の大半が高等なペテンにすぎず、かえって一部地味な言論の方に本物があったことを見せてくれる。

 しまいには不毛に終わりかねない批評を書かねばならない本書の著者が少々気の毒になりながら読んでいると、著者自身、戦後マルクス派知識人のことを「今となっては思想的なカラ札」と値を付け、それら「知識人たちの言説を、律儀に検証することは、気が滅入るばかりに見栄えのしない仕事だ」と嘆いている。損な仕事だということは、著者も承知の上なのである。

 にもかかわらず、膨大な時間と労力を費やしたであろうこのような仕事を、著者が敢行したのは、「彼らの限界を共有し、その敗北を引き受ける以外に、現代における知識人の再生はありえない」と考えたからである。この知識人の再生に、本書が取り上げる福田恆存への共感を込めた批評は参考になる。

 著者は「戦後の保守派知識人への本格的な取り組み」も計画しているという。進歩的文化人への単なる反発に終らない言論が戦後どれぐらいあったのか、また、それと戦前戦中との関わりはどうなのか。さらには、それらを踏まえた現代認識がどう出るか。いずれ誰かがなさねばならない、恐らく損な仕事であるが、著者の努力を期待したい。

 (秀明出版会・二〇〇〇円)

 福井大学教授 小林道憲


【21世紀へ残す本残る本】大澤正道(下)「共産主義的人間」 林達夫著

[1998年05月23日 東京朝刊]

 この本は昭和二十六年に月曜書房という小出版社から刊行され、同社の消滅後、二十二年たった昭和四十八年にようやく中公文庫に収められ、ひろく読まれるようになった。この本の運命はまことによく戦後日本の思想の運命を示唆している。

 この本は十一編の論稿よりなるが、書名となった「共産主義的人間」はおなじ年の「文芸春秋」四月号に発表された。晩年の著者の回想によれば、その前後から著者の周囲に「沈黙の壁」ができたという。いまでは著者の代表作のひとつにも数えられる論稿だが、発表当座はほとんど黙殺に近い状態で、著者が共鳴を期待したひとびと、当時、論壇を賑わせていた進歩的文化人たちはみな「知らん顔」をしていた。著者が受け取ったのは福田恆存からの激励の短い葉書と小場瀬卓三からの長文の忠告の手紙だけだった。

 理由はそのころタブーとされていた共産主義の実態を、著者が勇気をもって暴露したからである。たとえば著者はのちに粛清されたが、コミンテルン議長として羽振りのよかった頃のジノヴィエフのおそろしい言葉−「もし一億の人口のうち一千万人がソヴェートに従おうとしないならば奴らは肉体的に滅さるべきだ」という、半世紀後のポル・ポトまがいの言葉を引いて、ソ連が「警察国家に化するおそれがある」と警告している。

 実際はソ連は「警察国家に化するおそれがある」どころか、警察国家そのものだったのだが、この程度のなまぬるい批評でさえ、当時の日本の論壇では許しがたい発言とおそれられ、「沈黙の壁」によって著者の言論を封じ込めてしまったのだ。言論の自由の旗手をもって任じたひとたちが、である。

 昨今はこの本は共産主義批判の先駆的な著作とされているようだが、それだけではこの本の値打ちを十二分にとらえているとはいえない。たとえば「新しき幕明き」で著者は「Occupied抜きのJapan論議ほど間の抜けた、ふやけたものはない」と、占領下の「跳ね上がった言論の横行」を批判し、ソ連の政治も米国の政治も「程度の差こそあれ羊の皮を着た狼なのである」として、地球のすみずみまで「愚民政治」が「徹底してゆきつつある」と予見している。

 これはほんの一例にすぎない。著者の先見の明はこの本のいたるところに見出される。こういう千里眼に賛辞をおくるのもいいが、それよりも孤立をおそれず、あえて時代のタブーに挑んだ著者の批評精神こそがたたえられなくてはなるまい。なぜならタブーのない社会はありえないが、批評精神のない社会はありうるからだ。だからこそ批評精神に溢れたこの本はわれわれの貴重な財産なのである。 (おおさわ・まさみち=評論家)


【新刊】「文學の救ひ」 前田嘉則著

[1999年07月04日 東京朝刊]

 ◇前田嘉則著「文學の救ひ」(郁朋社・一五〇〇円) 平成六年、八十二歳で亡くなった福田恆存は単なる劇作家、文芸評論家だけではなく、戦後日本に警鐘を鳴らし続けた存在だった。著者は福田を「最後の文士」と呼び、その思想を分析、多くの誤解に包まれていた福田の作品と人生の実像をとらえる。


【文庫NOW】『老人と海』 ヘミングウェイ著 「水墨画を思わせる世界」

[1999年07月11日 東京朝刊]

 福田恆存訳(新潮文庫・400円)

 今年はヘミングウェイの生誕百年。日本でもとても人気がある。どれぐらい人気があるか、文庫『老人と海』の奥付をみると六月二十五日付で八十九刷を出している。「『新潮文庫の一〇〇冊』に入っているので毎年夏に六万部は刷ります。今年は生誕百年なので九万部に増やしました」と宣伝部。新潮文庫の歴代三位、昭和四十一年以来五百万部も出ている。

 キューバの老漁師サンチャゴは八十四日間も不漁が続いていたが、一人小舟で出漁する。残りわずかなえさに巨大なカジキマグロがかかり、大海原で四日間にわたる死闘を繰り広げる。獲物は帰途サメに襲われ食いちぎられる。サンチャゴは傷つくも雄々しく戦い生き抜いた。

 文庫の帯では東京・新宿の東京アイマックス・シアターで上映中の映画「老人と海/ヘミングウェイ・ポートレイト」を宣伝している。ロシアのアニメ作家ペトロフがガラスの上に指で描いた表現がユニーク。

 映画の監修協力もした日本ヘミングウェイ協会事務局長の今村楯夫・東京女子大教授は「非常に寓話的で分かりやすい単純な話です。大海原で老人が一人きりで向き合っているのは魚でなく自分自身です。大自然の中、人間の存在は小さい。どこか水墨画を思わせる世界、禅のような世界に日本人はひかれるのかも知れません」と話す。協会でも記念に論文集の出版や写真展を開催する。

 「老人はいつも海を女性と考えていた。それは大きな恵みを、ときには与え、ときにはお預けにするなにものかだ」

 本を読んだらこんな海に出かけたくなった。江原和雄


【書評】「昭和精神史 戦後篇」 桶谷秀昭著 占領下の日本人を問い直す

[2000年08月12日 東京朝刊]

 同じ著者による『昭和精神史』刊行から八年、その戦後篇がやっと出た。進駐軍の占領政策開始で終わっていた前著。それを受けて書き出される戦後篇、当然ながら占領政策の展開を軸に進行する。

 著者の史観・思想は、次の文脈によって概略理解できよう。ポツダム宣言は「日本軍隊の完全な武装解除を規定してゐるが、日本人の精神の完全な武装解除を主張してゐな」かった。そのポツダム宣言の条件を「米国の初期対日方針を遵奉するマックアーサアの占領政策がふみにじつた」「日本人がたたかつたあの戦争は、それが悲惨な敗北にをはつたにせよ、大東亜戦争なのであり、アメリカの世界戦略の一環としての太平洋戦争ではなかつた」−

 にもかかわらず、戦後の日本人に〈太平洋戦争〉という戦争観と歴史観が浸透した。それはGHQが「各新聞に掲載せしめた」「史観の名にもあたひしない『太平洋戦争史』という宣伝文書」だったと断言する。全編が歴史的仮名遣いで叙述される文章は果敢、筆鋒鋭く、真っ向から振りおろす。

 新憲法、東京裁判、経済・文教、講和条約等々、これまたしかり。占領軍支配下の日本で、また、それ以後の日本で、日本人はどのように反応し、何を思索したのか。その詳細な検証を展開する。登場する人々は、東條英機、重光葵、吉田茂、保田與重郎、武田泰淳、唐木順三、竹内好、龜井勝一郎、福田恆存、高橋和巳、折口信夫、三島由紀夫ら。その幅は広い。

 「昭和天皇」を最終章にすえた全十七章。日本人にとって、戦後とはいったい何だったのか、著者は問い、そして答えている。気概と迫力に満ちた一冊である。(文芸春秋・三二三八円)

 防衞大學校教授 有山大五


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