コラム・雑記


田母神論文の誤りを正す    2008年11月20日
先日の記事で「田母神論文の誤りを正す小文を書いてもいいくらいだ」なんて書いたので、歴史書や史料を洗っていたら、先週の『週刊新潮』に現代史家の秦郁彦先生が要点を突いた指摘をされていた。
なんだ、私ごときの出る幕ではないかも。
まづは、秦先生の言葉を紹介したい。


一.張作霖爆殺事件は関東軍河本大作大佐によるものという史実が確定している。

二.盧溝橋事件について田母神論文には劉少奇が外国人記者との会見で
「現地指揮官は自分だった」と証言しているとあるがそんな会見は存在しない。
東京裁判で旧陸軍関係者が会見があったと聞いたと語ったことがある程度の単なる噂にすぎない。

三.論文には私(秦郁彦)の著書『盧溝橋事件の研究』も引用されているが、
そこでは事件の首謀者=中共説をはっきり否定している。
私は軍閥宗哲元率いる第二十九軍の兵士が偶発的に撃った銃弾と結論付けている。

四.太平洋戦争がルーズベルトの罠だったとする説は学問的には誰も認めていない。
ルーズベルトが対日開戦の名分を得るため、真珠湾の太平洋艦隊を日本軍に叩かせて“リメンバー・パールハーバー”を演出したという説は俗説中の俗説。

五.ハリー・ホワイトはハル・ノート当時は次官ではなく財務省の一部長に過ぎない。
ホワイトがハル・ノートを決めたなんて言いすぎ。

(『週刊新潮』208年11月13日号、25頁より)


さすが、実証主義の歴史家だけあって簡潔に史実との相違を指摘されている。
せっかくなので、私なりに二、三付け加えておきたい。

一について。
田母神論文で張作霖爆殺事件の主謀者をコミュンテルンとする根拠となっている文献にユン・チアン『マオ ―誰も知らなかった毛沢東』が挙げられている。
『マオ』には確かに「張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという」(301頁)との記述がある。
しかし、この箇所、脚注扱いだし、原文には

This assassination is generally attributed to the Japanese, but Russian intelligence sources have recently claimed that it was in fact organized, on Stalin’s orders, by the man later responsible for the death of Trotsky, Naum Etingon, and dressed up as the work of the Japanese.(アメリカ版、175頁)。

と書かれている。
これを訳すと「しかしロシア諜報機関の資料は、実際にはスターリンの命令で組織され、トロツキー暗殺に責任を負うナウム・エイティンゴンによって実行され、日本軍の仕業に見せかけた、と最近主張している」(註)となり、邦訳で「明らかになった」とされているのは誤訳というべきだろう。
また、邦訳にある「ソ連情報機関の資料」とは、2000年にモスクワで出版された『GRU帝国第一巻』(コルパキヂ、プロホロフ共著)で紹介されている話を指すのだろうが、ここには情報の出所が明示されていない。
出版から八年も経っているが追加の裏付け情報もなく、張作霖爆殺事件の主謀者をコミュンテルンとするにはあまりにも根拠に乏しい。
反対に通説である河本大作(関東軍参謀)が主謀者であるということを証明する史料は数多ある。
最新のものでは2006年に発見された東宮鉄男大尉の日記だろうか。
東宮大尉は爆殺の実行者とされているが、その日記昭和四年七月二日の段には「(田中)内閣総辞職。事件の最大責任者はもとより余一人にあり」と記されている。

次に二と三について。
田母神論文で一番引っ掛かったところは秦郁彦先生の『盧溝橋事件の研究』を参考文献として挙げているのに劉少奇の証言を借りて盧溝橋事件の仕掛け人を中国共産党軍としている箇所だった。
秦先生も指摘しているように、『盧溝橋事件の研究』では仕掛け人(日本軍に向けて発砲した者)を国民党第二十九軍と結論付けている。
おそらく、田母神氏は『盧溝橋事件の研究』を孫引き、あるいはつまみ食いしたのではあるまいか。

他にも田母神論文では「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである」という主張がなされている。
これにも疑問がある。

盧溝橋事件が起きた当初、日本陸軍参謀本部の中では石原莞爾を中心とする不拡大派と武藤章を中心とする拡大派が存在し、陸軍省の杉山元陸軍大臣も拡大派だった。
なお、近衛文麿首相を中心とする政府は、はじめ不拡大方針を打ち出したが、南京陥落後、陸軍参謀よりも強硬派になるなど態度が一定ではなかった。
支那側は中国共産党は積極派、国民党は不拡大派。
中共としては国民党が日本軍と戦うことになれば、国民党の力が削がれ有利になる。
国民党としてはいまは日本軍と戦争なんてしたくない、むしろ中共軍と戦いたかった。
だから、国民党の第二十九軍が蘆溝橋で発砲したのはまさに偶発的なことだった。
引きずり込んだのは蒋介石というより中共と言った方が近い。
確かに後の歴史をみれば戦争によって得をしたのが中共であるので、中共やコミュンテルン陰謀説が幅を利かすのはある意味では理解できる。
事実、国民党内には中共の工作員が潜入していたし、コミュンテルンのスパイだった尾崎秀実は日本国内で盛んに事変の拡大を煽っていた。
ただし、日本にも拡大派がいたし、戦場となったのは支那大陸である以上、「被害者」という理解には与しかねる。

それにしても、支那事変(日中戦争)はまったく無意味な戦争であった。
いや、無意味どころか後の日中間に大きな禍根を残すことになる悲劇であった。
この悲劇が起きたのは日本側に明確な侵掠の意図があったからというより、むしろ日本側に国家としての明確な意思が不在だったことによると思う。
無論、あの戦争を収拾することができなかった当時の指導者の責任は重い。

以下、四、五については省く。
田母神論文はいわゆる陰謀論の類を多く採用している。
これが「学問研究の成果」と言うなら失礼ながらお粗末極まりない。
いづれにしても、私は田母神論文について各論反対、総論賛成と言ったところだ。
言い換えれば、結論部分は同感するがそれまでの論の進め方に大きな誤りがあり同意しかねる。
自身が書かれているように日本人として誇りを持つためには「嘘や捏造は全く必要がない」。
これまで日本では右も左も日本を誇るためにあるいは貶めるために歴史を捏造してきた。
私は今後も歴史の嘘や捏造だけは排撃してゆきたいと思う。


*****

註:訳は矢吹晋(横浜市大名誉教授)に拠った。(「『マオ』の真贋を読む」、東方書店『東方』2006年5月号、28-31頁)

参考文献:
伊藤隆『日本の歴史30 十五年戦争』小学館(1976年)
北岡伸一『日本の近代5 政党から軍部へ』中央公論新社(1999年)
有馬学『日本の歴史23 帝国の昭和』講談社(2002年)
秦郁彦『現代史の虚実』文藝春秋(2008年)
秦郁彦『昭和史の謎を追う』文春文庫(1999年)
加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』岩波新書(2007年)
三代史研究会『明治・大正・昭和30の「真実」』文春新書(2003年)
伊藤隆、北村稔、櫻井よしこ、瀧澤一郎、中西輝政(対談)「あの戦争の仕掛人は誰だったのか!?」『諸君!』2006年6月号
ほか



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