福田恆存先生の家


 私は「保守派」と呼ばれる日本の思想家、評論家で最高の人は誰かと聞かれたら、先づ「福田恆存」の名前を上げる、戰後日本の知識人の中で最高だと言つて良い。私自身、福田恆存先生に教へられた事は數知れず、其の割に私自身は大したことが無いのだけれど、少なくとも、今の自分が有るのは先生の御陰であると思つてゐる。

 本としてはそれ程良い本とは言へないが、谷澤永一氏と中川八洋氏の對談本「名著の解讀學」−(徳間書店)には福田先生の事がかう書かれてゐる。

福田恆存(1912〜1994年)

 東京生れ。劇作家、演出家、文藝評論家。シェイクスピアの研究家でありながら、文化、社會、政治を評論し、とりわけその辛口の知識人批評は定評があつた。1954年に「中央公論」に發表した「平和論にたいする疑問」は一大論爭を卷き起した。保守主義者としての國語論、防衞論など、戰後史に屹立する作品群は「福田恆存全集」(文藝春秋)に収録されてゐる。(紹介文)

以下、二人の對談から(飛々の引用)

谷澤− 福田恆存は、立派な全集が文藝春秋から出版され、飜譯全集も出てゐる。嘱望され、功なり名を遂げた人ですが、戰後のあらゆる評論家のなかで中道を行くといふ精神の一番のサンプルを示してくれた。どちらにも曲らない、いつも正道を行くといふ精神を一生貫いた、稀にみる豪傑型の評論家でした。しかも、論壇ではいつさいの「閥」がなかつた。

 林達夫に認められて「作家の態度」といふ第一評論集が中央公論から出たり、後に國立國語研究所長になる西尾實さんの弟子であつたことなど、多少の人間關係はありました。けれども、福田恆存が何かの閥の一人であつたことは絶對ない。終生孤高の人でした。

中川−福田恆存を評價すべきもう一つは、「日米兩國民に訴へる」(1973年)の論文です。そのなかで、同じ年に起こつたアフガン・クーデターを論じてゐるからです。なぜなら、恆存の予測が6年後に餘りにも見事に的中したのです。1973年の王政癈止のクーデターがアフガニスタンを破局へと導くと予測したものは、福田恆存を除き、日本にはジャーナリスト・政治學者を含めて一人もゐません。現實には6年後にソ聯軍に占領されました。さういふことを恆存は73年の王政癈止のクーデターと同時にほとんど論じてゐるのです。

中川−では私も、恆存を尊敬してゐる理由のもう一つを述べさせて下さい。「知識人の條件」たる兵器や戰爭の本質を正しく把握してゐた日本の例外的な知識人だつたことです。たとへば恆存の次のやうな一文は、反核と核軍縮一色のカルト的迷信を狂信する日本人にもう一度讀んでもらいたいものの一つです。

「原水爆であらうと惡魔であらうと、生れてしまつたら、もうどうにもならないのです。あと私たち人間にできることは、さらにそれをおさへる強力なものの發明あるのみです。半歩後退はできない。後退するとすれば、イエスやガンジーのやうに文明を徹底的に抛棄することしか道はないのです」(戰爭と平和と)「全集」第3卷56頁


 ここで、「大馬鹿野郎」の文章も紹介して置きたい、解説なんぞ要らない、讀んで頂ければ、何が間違ひか解る筈。

 以下、「人生は論語に窮まる」−(PHP研究所刊−1998年10月21日第14刷)より。

過ちを改めた清水幾太郎の態度−渡部昇一

 それから、「過ちて改むるに憚ること勿れ」が日本では大變難しいとおつしやいましたが、日本で「過ちて改むるに憚ることなかつた人」ではないかと私が思ふのは、清水幾太郎です。戰後、あれだけ進歩的文化人のやうな言論をふるつてゐたのに、その後、「自分は間違つた」と宣言して、その後十年間ぐらい專心勉強しなおし、「倫理學ノート」(昭和47年、岩波書店)を書き、それから自傳みたいなものも書いた。私はあの態度にとても感心しました。

 ただ、その過ちを改めたことに對して、怒つてゐる人もゐました。それは福田恆存ですが、福田さんの態度は間違つてゐますね。率直に自分の非を認め、立場から言へば福田さんの陣營に來たことによつて議論が根本的に相通ずる立場になつたし、それをやつたのはお國のためになつたのです。認めてあげるべきでした。

 それを「あいつは調子のいい男だ」と福田さんは怒つたのですが、その背景には嫉妬もあつたのでせうね。清水幾太郎は立場を改めてからも賣れる本を書き、背が高くてスマートで、しかも絶對的に語學ができました。福田恆存は英文科出身だつたけれども、實はそれほど英語が讀めなかつたやうです。ところが、清水幾太郎は獨協中學から東大に入るまでの間で、ドイツ語の新刊書評をする力があつたぐらいの人でしたから、戰後になつて英語をやりはじめたときも、清水ほどドイツ語を讀めるなら英語を讀むのは樂なことだつたと思ひます。

過ちを改めた者に對する非難の論法−谷澤永一

 この一條をあげるにあたつて、實はいまおつしやつた清水幾太郎のことが私の念頭にもありました。かつて清水が非難されたやうに、過ちを改めたことを非難する論法が日本の論壇には多いですね。本當は間違つてゐるのだけれども、福田恆存のやうな論理が日本社會では聞こえがいいんです。

 進歩的文化人の代表であつたときの身振りが大袈裟だつたといふイメージが大きかつたのかもしれませんが、福田は要するに憎かつたんでせう。

 産經新聞データの「斜斷機」の處にも有りましたが、何を根據にかういふ事を書くのでせう、飜譯の仕事の功績だけでも清水氏より福田先生の方が遥かに上でせう、渡部は「要するに憎かつたんでせう」。清水氏をドイツ語が良く出來た、なんて褒めてゐますが、渡部も「ドイツ語がよく出來た」らしいから、これも自分の自慢でせう。


絶對御薦め−これだけは讀んで欲しい

 福田先生が特に活躍されたのは昭和20年代後半から50年頃、かれこれ30年〜50年前になる、それだけの時間を經ても讀んで勉強になる政治評論はザラには無い。以下、全集の中から必讀の評論を選んで置きたいと思ふ(當前だけれども、全部を讀むのが一番良い)。

第1卷より−「近代日本文學の系譜」、「文學と戰爭責任」、「一匹と九十九匹と」

第2卷より−「歌よみに與へたき書」、「自己劇化と告白」、「ことばの二重性」、「近代の宿命」、「日本人の思想的態度」、「藝術とはなにか」

第3卷より−「平和論にたいする疑問」、「戰爭と平和と」、「漢字恐怖症を排す」、「國語改良論に再考をうながす」、「日本および日本人」、「文化とはなにか」、「俗物論」、「現代人は愛しうるか」、「人間、この劇的なるもの」

第4卷より−「個人主義からの逃避」、「絶對者の役割」、「宇宙ぼけの科學教育論議」、「文學以前」、「私情でも筋を通せ」、「私の國語教室」

第5卷より−「批評家の手帖」、「漢字は必要である」、「日本語は病んでゐないか」、「常識に還れ」、「論爭のすすめ」、「消費ブームを論ず」、「適應異常について」、「演劇的文化論」、「象徴を論ず」、「私の保守主義觀」、「物を惜しむ心」

第6卷より−「紀元節について」、「アメリカを孤立させるな」、「當用憲法論」、「滅びゆく日本」、「民主主義の弱點」、「新聞への最後通牒」、「自己は何處かに隱さねばならぬ」、「獨斷的な、餘りに獨斷的な」、「日米兩國民に訴へる」

第7卷より−「憲法の絶對視に異議」、「日本語はなぜ聽き取りにくいか」、「言葉、言葉、言葉」、「言葉は文化ではないのか」、「防衞論の進め方についての疑問」、「言論の空しさ」

第8卷より−「ホレイショー日記」、「龍を撫でた男」、「明智光秀」、「解つてたまるか」

 最後の戯曲に關しては好みの問題も有るが「龍を撫でた男」は特に面白い、結局の處、誰が狂つてゐるのであらうか。又、「明智光秀」はマクベスの飜案であるが、悲劇と言ふより歴史劇。何でも、「なあ、なあ」の「和をもつて尊し」とする國に本當の悲劇は有り得ない。

 しつこく最後に、福田恆存先生の事なら「この人に聞け」、孫弟子とお呼びすれば良いのでせうか、「次の時代の福田恆存」である御二人のサイト是非どうぞ。

野嵜さんのサイト 岡田先生のサイト


主な著作と言ふより私が持つてゐる本

「せりふと動き」−玉川大學出版

「演劇入門」−玉川大學出版

「私の演劇白書」−新潮社

「劇場への招待」−新潮社

「私の演劇教室」−新潮社

「言論の自由といふ事」−新潮社

「知る事と行ふ事と」−新潮社

「人間不在の防衞論議」−新潮社

「問ひ質したき事ども」−新潮社

「國語問題論爭史」−新潮社

「文化なき文化國家」−PHP出版

「私の英國史」−中央公論社

「日米兩國民に訴へる」−高木書房−つい先日(H13−10−8)池袋のジュンク堂で新刊本を見つけて吃驚

「福田恆存全集−全8卷」−文藝春秋社−調べた限りでは第3刷が出てゐます

「福田恆存飜譯全集−全8卷」−文藝春秋社−調べた限りでは第2刷が出てゐます

「シェイクスピア全集−全15卷+補3卷」−新潮社

新潮カセット文庫−「福田恆存講演集」−(1〜3卷)

最近手放した本もあり、現在私が持つてゐる福田先生の本はこれだけです。他に、飜譯本や文庫本も何冊かあるが、省略します。

又、文庫本を除き、現時點(H13・1月)で比較的容易に手に入る福田先生の著書は目次を書いた下の3シリーズだけだと思ひますが、買つて損はありません、將來悔やしい思ひをしない爲にも今の内に買ふべきです。池袋の「ジュンク堂」には新刊本が置いてあります、又、ネットを利用した通販でも手に入ります。

餘談ですが先日(H12・12月)、東京の神保町へ行つた時、古書店で全集、飜譯全集共箱入り美本で1セット47000圓でした。


福田恆存先生の年譜

年譜−(1)大正元年〜昭和33年

年譜−(2)昭和34年〜昭和49年

年譜−(3)昭和50年〜昭和63年


ウェブ産經新聞記事データ

 平成4年から平成13年までの産經新聞の記事から「福田恆存」と言ふ語を檢索すると107件の文書が檢索出來ます、全てをダウンロードして簡單に分類したのが下記ですが分類の仕方には問題があるかもしれない。名前がチラリと出て來るだけのものが多いのだけれど、何かの調べ物にでも使つて頂ければと考へ産經新聞には無斷で載せました。

 興味深い事ですが、朝日新聞のデータベースは産經のものより10年分古い記事まで入つてゐるのですが、件數は78件しかありません、何故でせう。

訃報−ファイル容量21K

追悼−ファイル容量14K

演劇關係−ファイル容量41K

書評關係−ファイル容量27K

正論關係−ファイル容量44K

讀者の投稿−ファイル容量18K

記事−久保紘之の天下不穏−ファイル容量71K

記事−産經抄−ファイル容量11K

記事−斜斷機−ファイル容量15K

 多少無理矢理の處もありますが、分類作業は終了、松原先生の文章は「追悼」の處にあります、西部氏の文章は「訃報」の處に有るのですが、何となく白々しい奇麗事の文章です、私は好きになれません。

又、ファイルサイズが大きい物も有るので大雜把に容量を書いて置きました。


昔の話し

 福田恆存と云ふ人に初めて接したのは高校生の時(詰まり昭和54、55年頃)、新潮社の「新潮世界文學」の中のシェィクスピアを通じてでした、最初に讀んだのは「マクベス」だつたと思ひます。但し、幾等、芝居好き、文學好きの私だつたとはいへ16、17歳の餓鬼であつた頃に「マクベス」の良さが解つた筈はありません、併し先づ文章の調子に魅了されました。

「やつてしまつて、それで事が濟むものなら、早くやつてしまつたはうがよい。暗殺の一網で萬事が片附き、引きあげた手もとに大きな寶が殘るなら、この一撃がすべてで、それだけで終りになるものなら」(マクベス−第1幕第7場)

「二人を醉はせた酒が、私を強くした。それで二人は靜かになつたが、私の心は火と燃える」(マクベス夫人−第2幕第2場)

「あの戸を叩く音は、どこだ?どうしたといふのだ、音のするたびに、びくびくしてゐる?何といふことだ、この手は?ああ!今にも自分の眼玉をくりぬきさうな!大海の水を傾けても、この血をきれいに洗ひ流せはしまい?ええ、だめだ、のたうつ波も、この手をひたせば、紅一色、緑の大海原もたちまち朱と染らう」(マクベス−第2幕第2場)

 如何ですか、他にも澤山引用したいのですがサイトの主旨と合なくなりますのでこの邊で止めて置きます。

 その後も「喧嘩屋」、「論爭家」の異名を取る程の有名な「評論家」であつた福田先生を、私は「飜譯家」、「演出家」、「劇作家」としてしか知らずにゐました、因みに飜譯以外で最初に買つた本は玉川大學出版部から出てゐた「せりふと動き」、「演劇入門」ですが、この本に書いてある著者の紹介も「劇作、演出、飜譯等の第一線で活躍中。著書に『人間・この劇的なるもの』、『私の演劇白書』、『シェィクスピア全集・15卷』、『なぜ日本語を破壊するのか』」と書いてあり、政治評論の事には觸てゐないのです、尤もその頃に政治評論等讀んでも解らなかつたと思ひます。

 


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