讀者の投稿


【談話室】“ら”抜き言葉は 心身の怠墮現象

[1992年10月11日 東京朝刊]

 田中亮一  

 (東京都府中市) 

 ら抜き言葉が世の中にまん延し、それを時代の流れである、と認めようではないかという考えもあるようですが、あの、ら抜き言葉の舌たらずな言い方が不快には思われませんか。

 福田恆存氏が指摘するように“着られる”“着れる”では、ら行音が前者では三つ、後者では二つになります。ら行音は舌を使う音です。舌を使うことが少なければ、それだけ楽に発声できるわけです。また母音だけとれば、前者はiaeuとなり後者はieuとなります。これも、後者の方がずっと口の開閉が楽です。

 このように、言葉を楽に発声しようとする傾向は精神生理両面の怠惰現象だと氏は断じます。ら抜き言葉に幼児語の響きがあるゆえんです。

 さらに近ごろは“この洋服着れんなあ”と言う人をみかけます。そのうちきっと“この洋服着えんなあ”と言う人が現れますよ。日本語から、ら行音はいずれ消えるということになる。そんな大げさなこと、とお考えですか。また、舌を使う音が一つや二つ減ったからといって、口の開け方が多少緩慢になったからといって、それと人間の精神と何の関係がある、とお考えですか。

 大昔の人は、言葉に神様がいると信じていました。僕もそれを信ずるものです。神様とは、人間の精神の奥深く住んでいるものではありませんか。それならば、言葉と人間の精神とは決して離すことのできないものでしょう。

 それは古代人の迷信ですか。それなら、言葉は乱れていない、揺れているだけだ、いずれ、よきところに落ち着くという考えは、現代の大きな迷信ではないでしょうか。(俳優)


【談話室】福田恆存氏の死去は残念…

[1994年11月30日 東京朝刊]

 阿部啓 28 

  (山形県酒田市)

 私が福田恆存氏の存在を知ったのは、つい最近です図書館でたまたま手に取った本が福田氏の著作でした。本棚の前で拾い読みを始めたところ、夢中になってしまいました。

 進歩的文化人全盛の時代の中で、痛烈な平和論批判を、孤立を恐れずに書いた人がいるということに驚き、また痛快な思いがしました。

 それ以来、私は福田氏の人格に引かれ、ますます関心が高まりました。福田氏に関する本は全集まで買って読み始めました。

 私自身、偶然手に取った一冊の本から始まって、まさかこれほどまで深入りすることになるとは思っても見ませんでした。福田氏の言論は、半世紀以上も違う世代の平凡な人間の精神にも感銘と強い影響を与えたのです。福田氏の存在を知って間もない者にとって、その死はあまりにも残念でなりません。(会社員)


【アピール】福田恆存氏の魂よ、永遠なれ

[1994年11月28日 東京朝刊]

 会社員 中村一仁 23  

     (北海道室蘭市) 

 さる二十日、評論家の福田恆存氏が亡くなった。巨星墜つ、最高の保守思想家の死−そんな言葉が頭に浮かんだ。

 福田氏は最近の「自称リベラリスト」とは一線を画した真のリベラリストだったと思う。今、改めて全集を読み返せば、福田氏の五十年以上の業績が極めて健全な平衡感覚を備えたものであったことが理解できる。

 左翼文学に対し、政治と文学との峻別(しゅんべつ)を主張した『一匹と九十九匹と』。いたずらに神聖化された平和論の虚妄をついた『平和論にたいする疑問』、六○年安保の反対運動、大学知識人やマスコミを批判した『常識に還れ』、北ベトナム=善、アメリカ=悪というベトナム戦争観に異議を申し立てた『アメリカを孤立させるな』などなど。現在ではあたりまえの認識が主張されている先見性のある優れた評論ばかりだ。

 長年、論敵だった埴谷雄高氏は大岡昇平氏との対談の中で「日本はずっとだんだん福田のいう通りになっているんだ」という旨の発言をしていたが、七〇年安保以降の政治や社会の保守化についても「左翼のエラー」によるもの−との認識を示し、決して先駆者づらをしなかった。

 むしろ、安易な日本論や日本人論は、裏返しの西洋崇拝に過ぎないとして、極端な日本礼賛や国粋的な風潮に警鐘を鳴らした。百八十度「右旋回」した清水幾太郎への痛烈な批判や、本紙『正論』欄に発表された「日本人による人間論を−いつまで続くか西洋崇拝」などの評論は、福田氏のそんな態度を理解させる。

 最晩年のエッセー、『老いの繰り言』の中で、氏はゴルバチョフ元ソ連大統領を応援していた。敵対者であっても、相手への礼儀をわきまえた武士道精神をもった人であったと思える。批判や反論でも、常にユーモアやしゃれっ気を忘れない文章作法は江戸っ子の天性のものだったような気がしてならない。

 学生時代から福田氏の全集を耽読(たんどく)しているわたしは今年の夏、氏に面会を求めたが、氏はすでに病床にあった。

 八月二十五日の八十二歳の誕生日にメロンを送ったところ、「福田も喜んでごちそうになり、くれぐれもよろしくと申しております」との夫人代筆のご返事をいただいた。それから三カ月足らずでの訃報(ふほう)だった。

 福田氏の肉体は滅んだが、氏の不動の言説はこれからを生きる私たちを導いてくれる光となるだろう。

 福田氏の魂よ、安かれ、そして永遠なれ。


【談話室】社会党の論争態度には疑問

[1995年01月17日 東京朝刊]

 浮田治信 71 

  (愛媛県北条市)

 村山富市首相は国会答弁でたびたび「この政策は自社さきがけで十分論議したもの。連立政権だから自分の主張が一〇〇%通らないのは当然で、譲るべき点は互いに譲って民主主義的に決定した政策である」と発言し、マスコミもそれを肯定的に受け止めている。

 私は以前からこの発言に釈然としないものを感じていた。それはそこから生まれた政策(税制改革、被爆者援護法、ルワンダ派遣自衛隊が携行した機関銃、自衛隊の予算など)が中途半端で、政府の目的、意図が明りょうでないと思われたからである。

 ところが最近、福田恆存全集で「論争のすすめ」を読み、うれしくなった。「民主主義というのは論争の政治である。それを『話し合い』の政治などと微温化するところに日本人の人のよさ、事なかれ主義、生ぬるさ、そして偽善があるのだ。私としての『話し合い』ではない勝負としての論争が必要なのである」

 この意味からすれば、細川政権時代「一・一ライン」に痛めつけられたのは、社会党の論理・論争態度に問題があったからではないだろうか。(元会社員)


【本探してます】米川正夫訳の「オネーギン」/オスカー・ワイルド「サロメ」

[1995年04月23日 東京朝刊]

 【相談】米川正夫翻訳のプーシキン『オネーギン』を探しています。

  保母 生抜陽子 39(鳥取市)

 【回答】米川正夫(明治二十四年−昭和四十年)は岡山県高梁町生まれ。東京外語大ロシア語科在学中に「露西亜文学」を創刊しています。『オネーギン』は、近代的自我にめざめたロシアの青年貴族像を「叙事詩で描いた小説」。一八三〇年に発表され、ロシア文学の近代化を象徴する作品といわれます。米川訳は叢文閣の依頼で、大正十年に出版されました。その後、改定を重ね、昭和二年に岩波文庫版、同二十四年に蒼樹社版および養徳社版、そして二十八年には新潮文庫版が刊行されていますが、いずれも品切れです。現在発売中のものに、木村浩訳(集英社ギャラリー 世界の文学 第十三巻・四三〇〇円)があります。


 【相談】日夏耿之介翻訳のオスカー・ワイルド『サロメ』を探しています。

  パートタイム 金井緑 53(東京都多摩市)

 【回答】日夏耿之介(明治二十三年−昭和四十六年)は長野県飯田町生まれ。女優サラ・ベルナールのために書かれた戯曲『サロメ』は一八九六年、パリ芸術座で初演されました。日夏訳は昭和五年、『サロメ』 近代劇全集第四十一巻・英吉利篇 として第一書房から出版。その後、十三年に蘭台山房版、二十七年に角川文庫版も出ています。また東出版から五十年に『院曲撒羅米−一幕』限定版、五十二年には普及版も刊行されましたが、いずれも品切れです。福田恆存訳(岩波文庫・二六〇円)などが発売中です。


【談話室】国語を乱す安易な言語観

[1995年10月31日 東京朝刊]

 佐々木彰 54

 (埼玉県朝霞市)

 二十七日付のアピール欄で「ら抜き言葉を認めるべき」という古川浩行氏の投書を拝見した。これに関し、故福田恆存氏の全集第五巻の文章の要旨を紹介したい。

 このような語法を許してはいけない。第一の理由は、音がきたないからである。「見れる」より「見られる」の方がきれいに響くのは、前者の「み」と「れ」の間に、後者では「ら」が入るからである。

 その母音だけを拾うと、前者はi・eとなり、後者はi・a・eとなる。aは最大の広母音であり、iは最小の短母音である。広母音は広大、寛闊(かんかつ)、短母音は急激、尖鋭の感を与える。

 第二の理由は後者の方が歴史が長いということである。言語問題はこの過去の慣習を基準としなければ、他により所がなくなってしまう。通じさえすればよろしい、ということになる。

 が、通じても相手は心の中で笑っている。美や慣習より、安易と便宜を重んじる言語観に立つ限り、国語は乱れるばかりである。

 (会社員)


【談話室】間違った事実歴史にするな

[1995年12月17日 東京朝刊]

 末光時枝 57

 (大阪府箕面市)

 終戦時、内蒙古宣化(現・張家口市宣化区)に住んでいた引き揚げ者ですが、九月九日のNHK衛星放送「世界、わが心の旅」を見て驚いた者の一人です。十二日付アピール欄で稲垣武氏が指摘されていたように、当時引き揚げを援護してもらった者としていくつかの疑問があり、「あれはおかしい」と兵隊だった方や引き揚げ者同士でやりとりがありました。

 昭和二十年八月十五日夕刻、龍烟鉄鉱所に勤めていた父が帰ってきて、終戦を知りました。次の朝、城内にトラックで避難し、二十日に緊急避難となりましたが、これは張家口北方にソ連軍が進撃してきたためです。

 内蒙古在留四万人の人々の命だけはなんとか救いたいとの命懸けの攻防戦があり、軍隊は警備で残って後方援護、居留民は貨物車などで天津へ脱出できましたが、後方援護の中隊には多くの死傷者が出ています。事実を知らぬ多数の方があの番組を見たら、「日本軍はあんなにひどいことばかりをしていたのか」と思ったことでしょう。

 現在、中国や東南アジアの国々も文化交流だけでなく、豊かで文化的な生活をするために、合弁企業を求めています。これが五十年後に「侵略だった」といわれないことを願っています。

 五日付の産経抄に「歴史はわれわれが作り出したものではない。作り出すものでもない」「われわれは歴史の中に生まれて来ている」との評論家・福田恆存氏の言葉が書かれてありましたが、歴史を正しく知ることの必要性を今回ほど強く感じたことはありませんでした。(主婦↑


【本探しています】コリン・ウィルソンの初期作品

[1996年05月09日 東京朝刊]

 【相談】『アウトサイダー』などコリン・ウィルソンの初期の著作を探しています。学生 中村智明 18 (大阪府東大阪市)

 【回答】英国の批評家、作家、コリン・ウィルソンは一九三一年、レスターに生まれます。十六歳で工業学校中退、工場で働きながら大英博物館に通い独学。二十四歳のとき発表した文学評論『アウトサイダー』が無名の哲学青年のベストセラーとして世界の注目を浴びます。H・G・ウェルズ、T・S・エリオット、ドストエフスキー、ヘミングウェーなどの敗北の運命と、存在の意味を検証しています。三島由紀夫は日本人が好む作家が多く取り上げられていることに着目、そこから日本文学の傾向を反証するなどして話題になります。翌年(昭和三十二年)に福田恆存、中村保男共訳により紀伊國屋書店から出版されました。現在は六十三年刊、中村保男訳『アウトサイダー』(集英社文庫・八〇〇円)が発売されています。

 続いて発表された『宗教とアウトサイダー』は『アウトサイダー』の第二部として書かれたものですが、分けて出版されました。この本は現在、河出文庫版(上下、各七五〇円)が出ています。また二十七歳のとき発表した第三作『敗北の時代』では第二次大戦後の思想家や文学を取り上げ、現代文学のヒーロー不在をついています。昭和三十四年、丸谷才一訳により新潮社から出版されましたが、現在は発売されていません。

 ほかに、飛田茂雄訳による自伝『発端への旅』(竹内書店新社・二〇〇〇円)などがあります。


【アピール】「旧字・旧仮名」は「古典」を読む鍵

[1996年11月25日 東京朝刊]

 医師 川俣泰男 45

 (栃木県足利市)

 九日付本欄「疑問氷解」で「旧仮名遣い」の問題が取り上げられていた。その回答の中で「現代人が旧仮名を学ぶ価値は十分ある」とあったが、同感である。

 私は戦後生まれで、学校教育は「新仮名・当用漢字」の時代だが、高校生のころ、家にあった戦前の文学全集などを拾い読みしていたので「旧字、旧仮名」には抵抗はない。むしろ、故福田恆存氏をはじめとする「旧仮名派」の主張に同調し、「旧仮名」こそ「正しい仮名遣い」だと思ってきた。実際、昭和四十年代前半までは、文庫本で旧仮名表記を比較的目にしたように記憶している。

 少し前になるが、本紙「隣人たちから」で、ドイツのフンボルト大学助手、ヘルマン・ゴチェフスキ氏が「旧字、旧仮名遣いの見直しを」と述べているのを読んだ。外国人がこのような意見を持っていることに驚き、かつうれしく思った。

 ゴチェフスキ氏も指摘するように、旧仮名は言葉の歴史を含んでいる。すなわち、「あおぐ」を「あふぐ」と表記し、「扇(おうぎ)」を「あふぎ」と表記すると、二つの語の関連は見ただけで分かる。「おめでとう」を「おめでたう」と書くと、「めでたし」と関連のある語だと分かる。従って「旧仮名」のほうが言語学的には合理的である。

 では、外国語はどうか。例えば英語は「旧仮名」の用法に似ている。critic(批評)の動詞はcriticiseだが、もし日本語の「新仮名」表記に従えば、語尾が−siseとなるはずである。つまり、発音ではなく、意味の関連性を重んじていることが分かる。

 最近、漱石、荷風、芥川の全集が新しく編まれたが、確か「新字、旧仮名」表記であったと思う。できれば、原典と同じように「旧字」を採用してほしかった。「旧仮名」表記が残っていたのはうれしいことである。

 これらの作家には「旧字、旧仮名」こそがふさわしく、格調が高く、香気が感じられるように思う。そして、この「格調」や「香気」こそが文学にとって何よりも大切であると思うし、文豪らはそのような表記で作品を書いたのである。

 ゴチェフスキ氏と同様、旧字体や旧仮名遣いへ復帰せよというつもりはない。しかし、「旧字・旧仮名」を教えることにもっと力を入れることは肝要であると考える。


【オピニオンプラザ・わたしの正論】第313回 入選 岩田温

[2000年12月05日 東京朝刊]

 《10月のテーマ》「20世紀を回顧する」

 ◆他者を否定し自らを正当化◆

 二十世紀を四半世紀も生きていない私のような若輩が、「二十世紀を回顧する」などというのは尊大に聞こえるかもしれない。しかしながら、フランスの詩人Gポール・ヴァレリイーは、「人間はうしろ向きに、未来に入ってゆく」と語っている。つまり未来のことを考えるならば、歴史を学ばなければならないということだ。ならば、将来の日本を背負っていくわれわれ若者こそが積極的に、歴史を顧みなければならないのではないだろうか。

 さて、一体今世紀はどんな世紀であったのか。「戦争の世紀であった」と多くの人はいう。なるほど、たしかに有史以来例のない大戦争が二度も行われた。これは、間違いのない事実である。だが、このこと以上に重要な事実を人々は忘れかけている。それは今世紀が全体主義の世紀であったという事実である。今世紀に人類が狂信したファシズムも共産主義も、ともに全体主義である点ではなんら異なるところがない。ヒトラーの行ったユダヤ人の大虐殺や、スターリンによる同胞大粛清などに見られるように、全体主義の禍は人類にとって最大の汚点であり、忘れてはならない事実である。

 では、全体主義とはいかにして生まれたのであろうか。それは人間が持つ本質的な弱さから生まれてきたのではないだろうか。そもそも人間である限り、誰もが自らの存在を肯定したいという願望を抱きながら生きている。この願望を容易に実現させてくれる思想が全体主義思想であったのではないだろうか。

 全体主義は、おのれに反するものを「祖国の裏切り者」という言葉や「保守反動」という安易な言葉だけで否定する。そして他者を否定したことによって、自らの存在を正義の存在とする。こうして自らの存在を肯定するのである。

 二十世紀において民衆はこれまで以上に自由になった。しかし、その自由に問題があったのではなかろうか。

 ◆自由の弊害が人心を弱体化◆

 自由について、英国の偉大な保守主義者エドマンド・バークは「知恵も美徳も欠いた自由とはそもそも何ものでしょう。それは、およそあり得るすべての害悪中でも最大のものです」と述べている。つまり先人の知恵や美徳の結晶である、伝統や慣習による制限のなくなった自由ほど害のあるものはないということである。何故なら、人間は完全な自由に堪えられるほど強い生き物ではないからである。自由に堪えられなくなった人間は自ら自由を放棄し、強力な制限の下に自分自身を置かざるを得なくなる。こういう理由から、人間は自由主義の下から全体主義の下へと逃走していくわけである。

 今世紀に全体主義は表面化した。表面化したがゆえに全体主義の恐怖は多くの人の知るところとなったのである。だが現在、人々はその全体主義が遠い過去に存在していたとしか思っていない。つまり、全体主義思想とは二十世紀に偶然起こり、消滅していった思想だと考えられている。

 しかしながら、自由主義から全体主義という強力な制限への逃走が人間の弱さに基づいて行われるのであれば、全体主義思想という思想は常にわれわれの近くに存在している思想といわねばならない。

 ◆歴史の回顧は未来への警鐘◆

 つまりわれわれが未来をより幸福な時代にしたいと願うのであれば、この全体主義思想に敢然と立ち向かわなければならない。この姿勢こそが、今世紀の歴史の重大な教訓に真摯に従った姿勢なのだ。しかしながら近年、日本人はソ連の崩壊による安堵からであろうか、全体主義に対する危機感を忘れ始めているようである。「平和」の美名の下に冷徹な現実を全く無視し、日本の非武装化を唱え、また、「男女共同参画社会」の美名の下に家族の崩壊を推し進め、さらに「ゆとり教育」の美名の下に学力低下や教育の荒廃を招いている人々がいる。

 彼らはその意見に反対する人々のことを「軍国主義者である」とか「封建主義者である」もしくは「偏差値至上主義者である」と決めつけ、その存在すらも認めようとしない。これを全体主義であると呼ばずに、何と呼べばよいのか。人が知らず知らずのうちに、全体主義思想に染まっているのではないか。この様な事実は、人々が先人の歴史を顧みなくなり、全体主義に対する危機感を忘れつつあることを示している。

 歴史を顧みることは、未来への警鐘を鳴らすことと同じである。そして二十世紀を回顧してみたときにわかる、先人がまさに血と汗と涙を流して残してくれた、全体主義の恐怖の事実は未来への重大な警鐘である。この警鐘が全く聞こえなくなったときに、人類は悲惨な歴史をまた繰り返すこととなるであろう。

 

 入選して一言 「とても嬉しいです。僕はこれから受験勉強が始まりますが、物事を真剣に考えることだけは放棄しないようにしたいです」

                 ◇

 いわた・あつし 昭和58年9月埼玉県浦和市生まれ。17歳。静岡県立磐田南高校在学。趣味は読書(特に渡部昇一氏、福田恆存氏の著書)、応募二回目で入選。静岡県在住。

【写真説明】

ナチスの悲劇は共産主義体制下でも繰り返された


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